08/25/06

裁判員制度10(裁判官とは?2)憲法190

憲法作成時には、まだ司法官憲をどこまで含めるかの構想が固まっていなかったのではないかと言う意見を、08/20/03「令状発行権者は、誰か?(憲法26)」のコラムで、英文を含めて書いた事がありますので、参照してください。
いずれにせよ、その資格取得方法についてまでは、憲法だけで決めることではなく、法律で定める事項になっているのでしょう。
こうした分野は数多くありますが、(公職選挙法、皇室典範などもその一例です)要は、憲法の精神に反しないように法律で詳細を決めなさいということでしょう。
ですから、法律事項ではあるが憲法事項でもあると言うややこしい関係ですから、その定め方によっては、憲法違反になるのです。
上記コラムで紹介しましたが、憲法33条の「司法官憲」の原文は、「a competent judicial officer」と言うものですから、 少なくとも法律家でなければならなかったでしょう。
憲法制定時には、既に、明治以降の長年の経験で法律家の定義は大方固まっていましたから、少なくともその定義に反するものを法律家として、裁判所法で決めると憲法違反になると言うことでしょうか?
明治憲法下の法律家の養成と戦後の養成制度については、これまで裁判所構成法から裁判所法や検察庁法や弁護士法になったことを紹介して来ましたように、かなりの変容がありました。
制度としては、戦後大きく変わりましたが、能力担保の仕組みは、一種の微調整に過ぎなかったとも言えるでしょう。
試験制度の改良、試験内容の変革は良しとしても、(平成になってからも、繰り返し紹介しているように、司法制度は改革中です)大幅な変更・・・例えば、国務大臣や国会議員を勤めれば、それだけで裁判官の資格を与えるなどとなれば、憲法違反になるでしょう。
そこで、裁判員法で言うところの裁判員は、憲法でいうところの「法律家」でしょうか?と言う問題になるのです。
裁判所法で、どんな人でも法律家であると決めたら法律家になるかどうかと言うことですが、憲法の英文では、単なる法律家judicial officerだけでなく、 「competent ・・」と修飾されています。
competentとは、それなりの適切な能力があると言う意味ですから、誰でも彼でも政府が好きな人を法律家だと決めれば良いのではなく、一定(法律家となるにふさわしい)の訓練を受けたものでなければ、憲法違反になるということでしょう。
ただし、何回も書きますが、資格のある裁判官でなくとも民主的及び国民の人権擁護に有効ならば、それもいいと思うので、(良いことをするのが憲法に反するならば、憲法を変えるべきでしょう)、要は、形式的な憲法違反論でなく、実質的にどうなのかの議論であるべきでしょう。
そして、わたしの考えは、これまで書いて来たように、国民に選択権がないことや、この次のコラムで書くように、素人が量刑議論・判断に参加する点で、実質的に人権侵害の要素が高くなるので、憲法を改正するのではなく、裁判員法を憲法に合わせるべきだという考えです。



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