08/23/06
公開の裁判を受ける権利6(憲法188)「反射的利益?」
もう一度憲法の英文に戻りますと、公開(OPEN)ではなく、公的・publiclyであることが求められているだけなのに、これを翻訳するときに、「公開」とあえて誤訳?しているのです。
右翼の借り物憲法の主張ではないですが、日本国憲法は、日本側の意思が入っているにしても、当時の最高権力者は、GHQ当局でしたから、日本側とGHQ当局との意見スリ合せの結果出来上がったものですから、英文が本来の原典です。
(現在の法律の解釈には、国会の議事録の研究が不可欠なのと同じです。)
裁判の審理行為を公的行為と書けば・・すなわち国民から付託を受けた行為は、付託者たる国民に対して、必要に応じて開示し報告する義務のある関係です。
国家の義務では困るので、publiclyを裁判所構成法や、現憲法では、国家の恩恵としてあるいは、ときには見せしめとして国家が(好きなときだけ?)公開する条文に変えてしまっているのです。
不平等条約改正には、公開しているから、欧米と結果は似ているからこれで良いだろうということだったでしょう。
しかし、公開は国家が自由意思でしているだけで、義務ではないのですから、似て非なるものと言えるでしょう。
政府が裁判を公開する反射的効果として、国民は裁判を知ることが出来るだけであって、国民には知る権利まではないと言うことにしたのです。
ですから、この思想を受け継いでいる新憲法でも、公開停止決定に対しても、被告人や一般傍聴人からの異議申立て権は、全く考慮されていません。
(裁判の公開の制度には、国民の知る権利・・・・・あるいは付託者たる国民・公衆による裁判の監視と言う発想がないからでしょう。)
こうした目で裁判所構成法や現憲法を見ると、知る権利・・・・民衆による監視のために裁判を公開しているのではなく、権力側の都合(昔の公開処刑の名残でしょう)で、裁判を公開しているだけと言う精神が明らかでしょう。
publiclyは、本来国民の側、裁判を受ける民衆のために発展した概念であったのに、明治の裁判所構成法や現憲法は、これを国家の裁判公開権・・・せいぜい責務くらいに矮小化・・意識的誤訳してしまったのです。
裁判員制度選択権の話から、何故公開法廷の条文に話が行ったかと言うと、日本への陪審制導入の話しは、国民の権利擁護のために始った議論であったはずなのに、出来上がった裁判員法では被告人に選択権のない話になってしまった原因・・遠因をここで探っているのです。
被告人が、いつでも100%公開を望んでいるならば結果的に同じですが、さにあらず、むしろ逆の方が多いから問題なのです。
被告人の立場で言えば、後に書きますが、否認と言っても部分否認が殆どですから、大多数の被告人は自分の恥を自分の知り合いに知られたくないことの方が多いのです。
まして刑事事件の90%以上が自白事件で、情状酌量を訴えるのが普通ですから、そんな惨めな自分を大勢に見て欲しい人は滅多にいません。
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