08/21/06

裁判員制度4(制度選択権の有無と憲法違反?2)

私がさしあたり、裁判員法の問題点として気にしているのは、江戸時代の吟味筋と違って、量刑手続も混入している点です。
日本の裁判員制度では、アメリカの陪審と違って有罪無罪の認定だけでなく、量刑にも参加する仕組みです。
この量刑に絡んで、(素人の方が刑を重くする傾向があるので)日本では、被告人・弁護人には、陪審でやるか普通の制度でやるかの選択権がない点が問題となってくるのです。
現在アメリカでは陪審制度が残っているといっても、時々有名な事件がセンセーショナルに報道されますが、実は、殆どの事件では陪審制を被告人が選択せず、通常裁判で行われているらしいのです。
陪審制は、ご存知のようにイギリスの同輩による裁判の保障要求から始ったものですが、今の日本でもそうですが、異民族に裁かれるのはいやなものです。
日本でも交通事故死や殺人事件はいくらもありますが、北方海域で漁民がロシアに銃撃されて殺されたとなれば、民族感情が騒ぐのです。
あるいは、沖縄で米軍に殺害された事件では、逆に日本での裁判権に固執したりします。
実は、日本の裁判の方が大幅に量刑が軽いのですが、それでも日本での裁判にこだわるのは応報思想が残るからでしょう。
自分より力の強い相手側の人間が10回鞭打つよりは、遺族や被害者は自分の手で1回でも叩き返したいと言う深層(原始的)心理でしょうか?
陪審制は、ノルマンコンクエラー・・・異民族支配を前提に発達したものですから、同輩の裁判要求権としても、事実認定さえ同一民族・・仲間で裁ければ、後は公平な・・・すなわち量刑相場どおり判決してくれれば、いいものではないでしょうか?
刑務所の執行人は、むしろ下層階級・・被支配者の就く職業だったでしょうから、前記のように異民族に鞭打たれるのはイヤと言う問題もなかったでしょう。
裁く職業に就くのは、支配階級・・民族が多いので、裁判への庶民(被支配民族)・・民衆の参加が重要だったのです。
陪審制については、01/19/05「陪審・・・民族別裁判所の提言と日本の陪審の必要性?」前後で連載しました。
そのうえ、被告人本人が求めていないなら(不当な裁判はめったになくて、むしろ泥棒・性犯罪など破廉恥な事件が殆どでしょう)、みんなの前でさらし者のように裁判する必要がないところから、被告人側による選択権が認めらてきたのでしょう。



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