08/14/06

政治家の職業倫理と教育理念

政治家や依頼者の都合で検査結果や体温・血圧が変わるのでは、誰も検査結果を信用しなくなるでしょうから、職業倫理を守るのは当然です。職業倫理や企業倫理と言うものを大げさに考えている人がいますが、正義のためにあるのではなく、自分たちの職業や企業の社会的信用を守るための装置に過ぎないのです。マスコミの中立性、取材源の秘匿も、スポーツ審判の中立性も、みな同じです。その時々のスポンサーや政治家の圧力で、報道を捻じ曲げたりスポーツの判定が変わったのでは、マスコミが信用されなくなったり、そのスポーツ自体が成り立たなくなるからです。
僧侶が、自らを厳しく律するのもみんな同じですし、(自分がだらしない生活・格好で、人の道・・結局は日常生活のありかたでしょう・・・説教しても、誰も聞かないでしょう)、政治家の倫理問題も根は同じです。
僧侶が国民一人一人に説教する人格者として期待されていたように、現在では、政治家が、国家の指導者であるとすれば、倫理に甘い政治家が多いのは、これを支持する国民がそこまで求めていないだけの話です。
利権政治家が頻出するのは、それを支持する人もその代議士に利権を求めているだけで、国家の指導者になる人材として認めていないからでしょう。利権政治家の発生は、票の獲得を原理とする民主主義の病理現象と言うべきでしょうが、病理現象である限り、政界の隅っこで細々と存在が許されるべきなのです。ところが、田中角栄元総理以来、こうした利権的人材が次々と国家の指導者の地位についてしまったのが、民主主義を衆愚政治に陥らせ、次世代がやっていけるのかの危機感に陥れていたと言えるでしょう。
こうした利権政治家が跋扈した原因は、補助金政治にあると言うのが私の持論ですが、補助金行政の弊害については、01/07/06「独立行政法人化と市場化4(エージェンシーの発達プロダクション方式)」その他多数書いていますので、参照してください。
こう言う政治・社会状況が続いていたのでは、人格者になろうとする意欲・・・モチベーションが衰え、国家の品格が失われます。
ことは、教育理念の良し悪しや教育制度改革の問題ではないのです。
その時々の社会の指導者(昔は宗教家でした)が、国民に示す「範」が重要です。
自分達が教育の基礎をぶち壊しながら、ぶち壊しているグループが
     「教育制度の理念が悪いからいけないのだ」
と言って教育基本法の改正に走るのは、盗人猛々しいの類でしょう。
親が、いい加減な生活しながら、子供にだけ「真面目にやれ」と叱咤激励しているような社会では、いくら立派なことを言っても駄目なのと同じでしょう。



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