08/14/06
司法行政と司法権の独立3 (大津事件2と職業倫理1)
宗教とは人間関係のルール取り決めの大元であると言う私の考えでずっと連載してきましたが、この考えからすれば、世界宗教成立と同時に、そのルール解釈の専門家が必須であったと思われるのです。神学者・高僧とは、すなわちお釈迦様やキリストの教えの解釈を極める人のことですから、教えを伝道するためには、その解釈者が必須でしょう。
法と宗教の関係は、03/26/06「商人と規制の親和性9(宗教と戒律)」や04/14/06「世界宗教の非合理化と各種学問の離脱1」 前後で長期連載しています。
上記06/05/05 「イギリスとフランス革命の違い2(大統領制と議院内閣制1」、コラムで書いたように、西洋(イギリスを除く大陸諸国)では、日本のような合議制の歴史がなかった・・もしくは乏しかったフランスでは、王権から統領制に移行せざるを得なかったのです。
フランス革命では、せっかく王を倒しても、また統領と言う独裁的制度しか思いつかないところから、革命の成果を維持するために、その抑制・・チェック機構として専門化の進んでいる司法権の独立が重視されたに過ぎません。
日本では、古来から根回し社会ですから、民主化しても独裁権力に親和性のある統領制にはならないのです。
この点は、同じアジアでも、中国や朝鮮では専制君主制の歴史しかなく、(・・今でも韓国は大統領制ですし、北朝鮮は将軍様独裁です)日本ではそうならなかった原因について、水田耕作社会の特質として、09/14/05「王権不要社会5(ナポレオンのロシア侵攻失敗)」前後で長期連載しています。
こうした社会構造では、行政府が独走・・暴走し難い・・・出来ない社会ですから、司法権によるチェックと言っても独走、暴走のないところでは、チェックするチャンスが殆どないのです。
ただし、戦前にも、司法権の独立が大問題になった事件としては、大津事件(明治24年(1891年)5月11日)があります。
大津事件については、06/07/05「司法権の独立(大津事件)」のコラムで1度紹介していますが、今回はその再論です。
この事件は、司法権の独立問題として学校で教えてくれますが、司法権を守るためと言うよりは、
実態は罪刑法定主義の技術的な問題であったでしょう。
「技術的な問題は、専門家に任せてくれ」
と言う意味で頑張ったのですから、結果的に司法権の独立に関係しますが、レントゲン技師が検査した結果を、政治的圧力で違うように発表せよといわれて抵抗しているのと同じで、もとはと言えば、職業倫理の問題です。
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