08/11/06

裁判所構成法13(代言人規則3)旧々弁護士法1から現行法まで1

話を代言人規則改正問題に戻しますと、あちこちに出来た代言人試験用の私塾・・・私立法律学校が、民権運動家の拠点になる傾向があったのです。
法律を教える組織が出来ると、西洋に比べて遅れた日本の法制度に不満が出易いのは当然です。
西南の役では、薩摩の私学校は有名ですが、どこでも私塾と言うのはこういう傾向があったのです。
私たちの若いころにも、民青やらなにやら政治活動家からの誘い文句は、「・・・の勉強会に参加しませんか?」と言うものでした。
ところで、時代も大変わりで、「みんせい」と変換しても、このソフトでは出てきません。
もう、今では、死語なのでしょう。
ですから、各地に出来た私立法律学校は、特に当時盛んになりつつあった自由民権運動・・憲法制定運動や国会開設運動の有力な支持母体になっていったのは、当然でしょう。
当時、政府のほうは、民権運動の弾圧に必死でしたから、運動家の巣窟になりがちな勉強会・・塾取り締まり目的で、強制加入制にし、しかも、自主的な試験ではなく国家試験にし、役所が監督を出来るようにしたものでした。
科挙の制度と学閥の関係を、01/20/06「科挙試験14(殿試1)と師弟関係(派閥とは?)」前後のコラムで書いた事がありますが、試験の正解を牛耳れれば、その試験科目の正解にどっぷり浸かった受験生の思想管理も出来ると言う訳です。
私なども、受験時代に繰り返し読んで染み付いた思想で、このコラムを書いているのです。
目的は、代言人規則改正によって検事による試験制度に変えたのは、政治的目的は、私塾つぶしでしたから、予備校による教育に正規の学校は負け続けている現状打開のために、教育免許を受けた法科大学院を出なければ、司法試験受験資格を与えない現在の制度創設をしたのと似ています。
と言うより、法科大学院制度は、この歴史のまねをしたのかもしれません。この結果、代言人は、検事による試験と監督を受けながら、刑事弁護をしていたことになります。
試験制度を牛耳れれば、代言人は、試験官である役所の意のままに出来ると言う考えだったでしょう。
01/24/06「貞観の治と開元の治1(帝王活躍の舞台装置)」で紹介しましたが、科挙制度によって天下の英才が蝟集したのを見た太宗が「天下の英雄嚢中に入るか!」と感激した故事を思い起こしてもいでしょう。



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