08/03/06

明治以降の刑事関係法の歴史11(裁判所構成法1)

戦後の刑事訴訟法の変遷の話から、平成の司法改革問題に大分話しが逸れましたが、07/30/06「明治以降の刑事関係法の歴史10(旧々刑事訴訟法)で、治罪法から旧々刑事訴訟法が制定されたことを紹介しましたが、これの続きです。治罪法では、手続のの中に出てくる裁判所の制度も、これを構成する裁判官、検察官、書記官その他の官職も渾然としていたのです。旧々刑事訴訟法が、治罪法から純粋な手続法として抜け出して完成したのに合わせて、訴訟手続に関係する官職や官庁・・・・裁判所の仕組み、(区裁判所、地裁、大審院など)、判事や検事の任用の仕組み、あるいは、書記官や廷吏、執達吏、通訳など関連職種にいたるまで、インフラ関係を抜き出して作ったのが、裁判所構成法と言えるでしょう。この構成法を見ないと手続法にでてくるいろんな官職や裁判所の仕組みも分からない筈ですから、この機会に煩雑をかえり見ずに、紹介しておきましょう。
裁判所構成法は、戦後の裁判所法が出来るまで存在していた基本法で、ここで決められた枠組みで、戦後改革まで来たのです。
戦後、これが裁判所法と検察庁法に更に分解されるのですが、この後に裁判所構成法の条文を紹介しますが、現行の裁判所法や検察庁法には、あちこちに裁判所構成法で規定された基本的枠組みが承継されていることが分かります。
裁判所の独立に反する箇所・・検察関係を抜き取っただけで急いで裁判所法が出来たとすら言えるでしょう。
07/30/06「明治以降の刑事関係法の歴史10(旧々刑事訴訟法)」で検事局が裁判所に付置されたと紹介しましたが、以下、裁判所構成法の条文で見るように、検事も判事も同じ法律専門の官僚として、違いをあまり感じていなかったようなのです。
旧々刑事訴訟法制定以来、戦後改革のときまでは、裁判所も司法省の下部機関として位置付けられていたのですから、今で言う所の外局扱いでした。
現在で言えば、財務省の外局である国税庁や、厚労省に対する社会保険庁などのイメージでした。
明治の初めの政体書以降、太政官制度や二官八省など明治の政治組織を説明をしてきましたが、司法省が出来ても裁判所を代表する省はなかったのです。
裁判所は司法省の監督下にあったので、監督官庁である司法大臣に直結している検事の方が、司法省の下位の外局扱いである裁判所の監視役であったと言う意味も理解できるでしょう。

大名まで行くか行かない程度の小身の将軍家側用人が、大藩の大名よりも、将軍の意向を示せる関係から政治的には上位に位置出来たのと同じです。
あるいは、歴代中国の宦官が、皇帝側近として権勢を振るったことを思い起こしてもいいでしょう。
この結果、私が弁護士になったころには、まだ、浦和地裁の建物は戦前のままで、裁判所内に、旧検事局・・・・検察庁が同居していると言う話しを聞いたことがありました。



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