08/02/06
戦後の当事者主義訴訟法と平成の司法改革の功罪2
平成以降の改革若しくは改悪の流れは、小泉総理の主張する市場主義経済、あるいは「民で出来ることは民で」と言うキャッチフレーズとは整合性がありません。
彼はもともと、靖国参拝だけでなく、ともかく国家権力の強化主義としての右翼的思想に本籍があることを忘れてはならないでしょう。
彼は、政敵である経世会打倒のために市場主義経済を便宜主張しているだけで、権力強化が大好きな思想の持ち主ではないでしょうか?
司法研修所の修習についても同様で、法曹養成についてこれまで何ら問題もなかったのに、これと言った議論もなしに、イキナリ法科大学院にその権限を変更してしまったのが今回の法科大学院構想です。
社会の高度化・専門化の必要性に応じるべしと言うならば、司法研修所教育の上に専門課程を選択的に設けるのが筋でしょう。
長寿社会化ですから、社会に出るのが、2年くらい遅れてもどうってことはないはずです。
結局、法科大学院は多様な法曹養成と言う、うたい文句で創設したものの、試験合格前に設置したために、院生は試験準備に追われてしまい、多様どころかもっと視野の狭い法曹養成養成機関に堕し掛けているのが現実です。
専門化、多様な勉強は基礎能力が確立した後にやるべきものなのに、司法試験の予備試験的な機能である短答式試験合格の能力もない人間を法科大学院で入学させておいて、「多様な勉強をさせると言う」うたい文句は噴飯ものです。
上記の私の基本的考えから、法科大学院関係者に、
「法科大学院入学資格を短答式合格程度に絞るべきではないか」
と言う話題を向けると、殆どの人が、全く不可能な非現実的議論だという顔をして応じてきます。
「そんなレベルの入学者は、殆どいないのに何を言ってるの?」
と言う顔つきです。
法学の基礎能力もない学生が、訳も分からず模擬裁判や法律相談の練習をしても意味がないでしょう。
野球の例で言えば、ストレートもまともに投げられないうちから、カーブやスライダーの練習をしているようなものです。
あるいは、複雑な最先端の金融取引の講義を聞いても、基本となる民法の原則すら知らない学生が、その例外的取り引きを聞きかじるような特別講義を聞いているのは、素人が現場で何となく聞き知っているのと大差がないことになるでしょう。
こうした意見は、06/21/03「法科大学院の濫立と合格率 2」その他で連載してきましたので、「法科大学院」でサーチしてみてください。
今年の12月から法科大学院卒の司法修習生がやってくるのですが、どの程度の実力かがもう直ぐに実地に試されることになります。
多様な人材を求めると言う触れ込みでしたが、実際には社会人の入学意欲が急激に冷え込んでいるとも、報道されています。
これは、上記法科大学院と司法修習生の給費制とのテーマでも書きましたが、生活保障がなくなったために、かえって社会人の大学復帰は困難となっているのです。
以前のように、仕事の合間に勉強してればいいのではなく、法科大学院に入らない限り受験資格を認めない今の制度では、会社を完全にやめるしかないのですから、その決断は困難でしょう。
多様どころか、かえって応募者の範囲を狭くしている感じです。
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