08/02/06
戦後の当事者主義訴訟法と平成の司法改革の功罪1
弁護士は、庶民・社会的弱者間の紛争解決を通じて、庶民の気持ちに毎日接しているので、その立場の代弁者にもなれるし、政府にとってはうるさい存在なのです。
その庶民事件の大半を国家が管理して行くことになれば、事件受任の窓口になる国家の意思(政権党の意思)に反する関心が、弁護士に生まれ難くなるのではないでしょうか?
今次の司法改革は、弁護士の牙を抜こうとしているのです。
このような関心では、学問の自由と研究費の政府補助金漬けの関係で、07/29/06「捜査機関の事件あたり経費公開の必要性2」のコラムで書きました。
何もかも、国家管理社会になっていくと、世の中の進展はどうなるのでしょうか?
他方で、現行刑事訴訟法では、検察官は、弁護人同様に、最終意見・・論告求刑・・を言えるだけで、裁判所はこれに拘束されずに判決する原則で来たのですが、今回の即決裁判手続の創設に見るように、検察官の執行猶予か実刑にすべきかの意見は、裁判所を法的に拘束できるようになったのです。
即決裁判手続きについては、07/21/06「即決裁判手続1(執行猶予1)刑法59と刑事訴訟法42」以下10日間ほど連載してきました。
平成に入ってからの司法改革の流れは、弁護士大量増員政策で弁護士を実質弱体化したうえで、訴訟手続的には、検察官・・国家の権限を強化し、裁判所の権限を弱めていくものと言えるでしょう。
裁判所が検事に対し、相対的に弱くなると言うことは、対立当事者である弁護士の訴訟手続内での弱体化を意味し、結局は社会的弱者である庶民の意見を代弁する弁護士の意見がとおり難くなる訴訟手続となって行くのです。
あるいは、視点を変えれば、対立当事者である弁護士の力が大量増員の結果徐々に弱まれば、そのバランスの上に立っている中立の裁判所の調整機能も弱まり、検事側に傾くしかなくなるということでしょうか?
政治的中立とは、左右勢力あるいは、保守革新の真ん中に位置するとすれば、左右のどちらかが弱まれば、バランスを取っている中心勢力も、必然的にどちらかにぶれるしかないのと同じでしょう。
今次の司法改革を、大きな流れとして見れば、当事者主義から職権主義の旧刑事訴訟法体系へ、ゆり戻そうとする動きとも読めるでしょう。
この一連の司法改革の基本コンセプトは、せっかく民でうまくやっていることを巨額の税金を投じて司法支援センターと言う官僚の天下り機関を創設して、国営にして行こうとするものです。
これまで、公害、消費者救済、薬害エイズ、らい病等々について、政治がどうにも出来なかったことを、司法界の活躍で結果、社会で認知するようになってきた事例は、枚挙に暇がないのです。
このように、戦後社会の発展に果たしてきた司法界の役割を誰も否定できないでしょうが、これといった不都合が起きていないのに、イキナリこれを民から取り上げて、国家管理にしようとするものです。
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