08/01/06

国選化現象3と弁護技術の低下

おりしも、司法支援センターでは、国選受任はこれまでのような義務(責務)制ではなく、契約制になりましたので、嫌なら契約しなければいいと言うことになりそうです。
国選報酬の低廉化は、弁護士の総合的力量では、中堅的弁護士といわれる階層が刑事事件から撤退させ、それに至らないグループ(今のところ主として若手弁護士です)が受け皿になっていくと言う棲み分けになっていくのかも知れません。
ただし、いつも書くことですが、こうした分析は経済原理だけから見た、大方の動きを論じているものであって、中には正義感が強くて日等4000円の赤貧に甘んじてでも、(もしかしたら自分自身が生活保護受給者になってしまいますが・・・)国選だけやる人がいないと断言しているものでは有りません。
それに、国選への特化が進めば、今のようにコストのかかる法律事務所を持たずに、事務員もなしに国選ばかりやると言う生き方をする弁護士も出て来るのでしょう。
ま、今で言えば裁判官や検事の退官者で70歳以上のご老人が国選ばかりやっているイメージですが、これからは老人社会ですから、こうした弁護士が着実に増えていることも確かです。
もしかしたら、一種の天下り先の確保のために法務省や裁判所のお偉方が考え出したのかも、知れません。
これに、何年たっても離陸できない・・市場競争に負けた元若手弁護士が加わる刑事弁護社会をイメージすればいいのでしょうか?
国選などやらずに大事件だけやる専門弁護士が育つだろうと思う方がいるかもしれませんが、ホリエモンや村上ファンドのような大事件は滅多にないのです。
年に一回あるないかの大事件だけでなく、普通の私選弁護依頼も年に数件しかないとなれば、イザと言うときのために多様な刑事手続に習熟しておかなければ、イザと言うときに役に立ちません。
そのためには、若手でなくとも日ごろから一般の国選を受任して多種多様な刑事事件に慣れておく必要があるのです。
私なども熟年世代でも、イザと言うときのために、日ごろから事件慣れしておくために国選受任するしかないか?と言うのが悩みの種で、それにしては最近追起訴が多くって持ち出しがきつすぎませんか?と言う疑問です。
年に1〜2件あるかないかの私選事件弁護を全うするために、練習のためとは言え、
     「膨大な赤字事件の受任を続けられないよ!」
と言うのが、先週連載した国選報酬の相当性の重要性、専門化の困難さの主張になるのです。
    「なあんだ、自分のお金の話か?」
とがっかりすることは有りません。
7月30日・・・・・・2「現行刑事訴訟法48と当事者主義訴訟法」のコラムの冒頭に紹介したように、私の思想の基本は、戦後民主主義思想ですが、ある人の思想や主張はその置かれた基盤に基づいて一定の主張が生まれてくるのは、当然です。
後に、裁判員法の紹介をしますが、これに対する批判論文についても、その書いている人が裁判官上がり、あるいは法律家の意見ばかりではなく、別の業界の学者の意見を聞きたいと書いているのも、その一例です。
兎も角、このコラムの読者としては、弁護士である私がその利害に基づいて、こうした主張をしていると理解して下さればいいでしょう。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資