08/31/05
児島高徳の役割(当時の武士の気風)
この范蠡の引用で有名になった人は、児島高徳という人で、隠岐の島に流される途中の後醍醐天皇の宿舎の桜木に
「天莫空句践 時非無范蠡」
(天、句践( コウセン)をむなしゅうするなかれ、ときに范蠡(はんれい)無きにしも非ず)
と刻んで、近くに忠臣がいることを書いたのです。
彼は夜陰に紛れ、書くだけ書いて遁走したのですから、いまで言えば調子のいい男かもしれません。
蒙古襲来絵詞で有名な竹崎季長でもそうですが、あの時代には如何に自分の高名を挙げるかが第一だったのです。
翌朝になると桜の木が削られていて、何か難しい文字が書いてあるので、下人らは大騒ぎになって、護衛の責任者であった佐々木道誉に報告します。
彼は、これを見てみると大変な意味の漢詩です。
彼は誰にも言わずに、後醍醐天皇にお見せし、後醍醐天皇が感激したという故事です。
(歴史小説は真実とは限りませんが・・・・)
たったこれだけで、歴史に名を挙げた彼は江戸時代の川柳で
「桜木(さくらぎ)にちんぷんかんぷんを書いて落ち」
と笑われています。
高徳は漢詩を書いて(北條の護衛の下人には、漢詩はちんぷんかんぷんで理解できなかったと言われます。)すぐに逃げた(逃げることを落ちるといいます)ので、このように笑われたのです。
ところで難しいことを言われると
「ちんぷんかんぷんで、さっぱり分らなかった」
と言いますが、この川柳のお蔭で、江戸時代から漢文など難しくて、理解不能のことを「ちんぷんかんぷん」(珍文漢文)と言われていたのが分ります。
川柳などを見ると下世話な言い回しの歴史もわかるものです。
もしかしたら「チチンプイプイ」なども、この親戚かもしれません。
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