08/30/05
都市の成り立ち9(異民族支配)
治山治水の必要性の議論から、「08/15/05「都市の成り立ち1(城下町)」へ話が行って、例によって次から次へと話が大分それましたが、河港都市に戻しましょう。
古代中国の王様とは、市場の顔役・取り仕切り役程度の意味だったともいわれます。
(これは私の想像ではなく、誰かれっきとして学者の意見です)
その説では、インターネットのループみたいに輸送網の結節点ごとに仕切る人が必要で、卑弥呼もその一人に過ぎないという意見です。
今、ヤクザの親分が縄張り内で、祭りなどを仕切るのが、その名残です。
卑弥呼や漢の武帝などは、その先祖というわけです。
ですから、昔の戦争は、ヤクザの縄張り争いと同じで、住んでいる人には本来関係がなかったのです。
中国は今でも第二次大戦・日中戦争は日本人民には責任がないというのは、その名残です。
義理で、無理して言ってくれている面もあるでしょうが、中国の歴史では、戦争は王様同士の争いでしかなかったのです。
中国の歴史では、ときに王様に反して市民代表が攻略軍と通じて城門を開ける場面が結構ありますが、城内の市民の支持がなければ戦うことすら出来ないのが、王様です。
日本のように「城主」ではなく、基本的には雇い兵でしかないのですから、住民を疎開させてまで戦えません。
またアヘン戦争後に、英国に割譲したときには無人に近かった香港に、直ぐに中国人が移り住んで、見る見るうちに100万都市になっていくのです。
香港返還前でも厳しい入境取締りまりを潜って密入国?する人が多くて香港政庁では困っていたものです。
確か返還前の香港人口のうちかなりの部分が密入境組みだという話でした。
彼らにとっては、漢民族支配の中国からイギリス支配の香港へわざわざ入境したがっているのですから、支配者の人種が何国人であるかは、本質的に問題ではないことを、事実が証明しているところでしょう。
商人にとっては支配者が誰であろうとも、市場をきちんと守って維持してくれれば、いいのです。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:歴史に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
