08/26/05
都市の成り立ち6(軍の存在意義6)満蒙開拓団の悲劇1
都市の成り立ちに戻ります。
08/17/05「都市の成り立ち5(交易都市と城下町の違い1)」の続きですが、地中海世界の砦が海に面して都市を守るためにあるのと比較して、城が真ん中にあって、守るべき市民の家がその外側に群がっているのです。
この違いは、これまで書いて来たように日本の武士は、自分達の都合で(自己目的)集まったところに、商人があとから余禄を求めてきただけですから、城下の市民を守るインセンチブがなかっただけです。
今でも、公害企業や鉄道騒音などで、「住民の方が後から来たのに、文句いうなんて!」という議論が聞かれますが、その手の話です。
満州からの引き上げで、関東軍が、自分たちばかり優先して引き揚げて、(敗走し)満州にいた国民を置き去りにしたことが繰り返し非難されています。
この場面を見ると、
「軍は国民を守るためにある」
という近代の国民国家思想からみれば、とんでもない事態として非難されるのです。
しかし、日本の武士団は、西洋や中国のように市民の利権を守るために出来た歴史がなく、しかも農地・・土地を守ることだけに主眼があったのです。
城に籠もっていても、敵が帰ってしまえばまた農民に対する支配権が回復するのですから、台風一過首をすくめて、敵が帰るまで籠城していればいい仕組みでした。
殆どの武士団は自分達より優勢な敵が来たら、自分達武士だけが少し奥の小さな山城に逃げ込んで、農民や城下の市民は放っておいて自己防衛するのが普通だったのです。
(外国のように国防軍とは言わずに、自衛隊という語源でしょう????)
彼ら日本の武士の城は、自分達を守るためにあるのであって市民や農民を守るためにあるのでは有りません。
商業権益と違って農業中心社会では、誰が支配者になっても農業の内容が変わるわけでは有りませんから、農民も気楽なものです。
平城になるのは、戦争が殆どなくなった戦国も末期のことです。
また攻めてくる方も、相手の武士をやっつけて、(追い払って)その支配下にある領地=農地支配権を握るのが主眼で、商圏を奪おうという発想が有りません。
せいぜい信長が、堺の町を支配下に置いたのが、そういう視点の最初でしょう。
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