08/23/05

王と軍の存在意義4(フランス革命1)

話が飛びましたが、18日・・・2のコラム以来の王様の歴史に戻りますと、オスマントルコだったか、奴隷自身が王様(スルタン)になったことすらあるといわれています。
インドのデリー王朝は、宮廷奴隷のスルタンが続いたので、奴隷王朝とすら呼ばれているほどです。
西洋(というよりも世界中の)の王様というのは、市場秩序の維持者でしかなく、役に立てば誰でも良かったのです。
フランス革命に先立つルイ14世・太陽王の栄華も、いわゆる重商主義の配当によるものでした。
ところが、イギリスの産業革命の進展で経済力、国際貿易で負け始め、更にブローバル化してきて、世界中の植民地でイギリスと戦っては連敗ばかりで、市民(商人)の権益の守護役としてかげりが出たのが革命の直接の原因です。
政権をとったナポレオンが、先ずやったのが今で言う所の関税引き上げでした。
有名な大陸封鎖令1806.11.21は、その行き着いた結果でした。
歴史ではナポレオン戦争ばかり教えられますが、戦争だけで政権は維持できません。
重要なのは経済政策です。
ナポレオンとしては、政権を取ると、フランス産業の発展をはかり、フランス商品の市場を確保するために、フランス本国及び彼の勢力下にあるイタリア・オランダなどでもイギリス商品を閉め出そうとします。
イギリス商品に露骨に重税を課したので、(現在のアメリカ通商法の懲罰課税の元祖と言えるかもしれません)両国の関係は悪化し、イギリスはアミアンの和約を破棄してフランスに宣戦した(1803.5)のです。
ナポレオンはスペインと連合して、イギリスと戦いますが、トラガルファー沖海戦(イギリス提督はネルソンです)で完敗してしまいます。
ロンドンに行きますと、トラファルガー広場と言う階段状の広場があって、多くの人がサンドイッチなどほおばっていますが、多分この戦勝記念広場でしょう。
12/09/04「「地球の歩き方」3(失敗談2)ベルサイユ」その他のコラムで書きましたが、私は、案内本持たずに行く主義ですので、意味不明のまま漫然と見て来て、今ごろ思い出しているのです。
このようにナポレオン戦争は、経済競争・輸入禁止政策から発展したものです。
北朝鮮が、日本が経済制裁をしたら、宣戦布告と見なすと息巻いているのは歴史があるのです。



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