08/17/05

民族国家の始まりと軍の存在意義1

今でこそ民族国家というのは「天から雨が降ってくる」かのように当然の枠組みであって、疑う余地のないシステムのように思う方が多いと思います。
しかし、こうした考えが広まったのは、ナポレオン戦争の19世紀以降の話で、西洋でも東洋でも他民族であるかどうかに、それほど関心がなかったのです。
それ以前は、西洋では異教徒かどうかの方が重要でした。
私は民族国家という概念で人種間競争・憎しみを煽る19世紀型の思想には批判的な考えをもっていて、これまで何回か折に触れて書いていますが、ここでも少し触れておきましょう。
スペインの王様(というよりもハップスブルグ家)が婚姻や相続であちこちの王様の兼任をしていたなど、西洋のほうが民族の違いなど、全く問題にしていなかったのです。
イギリスの名誉革命のときにも、オランダから次の王様を迎えていますが、そんなことは日本ではとても考えられないことでしょう。
西洋や中国では先に市場国家・都市国家があって、その場の秩序を維持し、権益を守るための顔役としての王とその物理的装置として軍隊が必要になったと言う歴史があるのに対し、わが国では武士の集団生活が始ると、その消費に対応するために商人が集まったもので、都市の成り立ちの順序が違うのです。
アメリカ植民地の場合も、イギリスやフランスの植民が先にあって、その住民の治安を守るために、シェリフなどが選出され、植民地軍も構成されてくるのです。
イギリスやオランダの東インド会社があって、その権益を守るため或いは通商路の安全確保のために海軍がついて行くのが、西洋流の軍の存在価値で、軍が先に占領してから商人がついて行くのでは有りません。
これがインドでの英仏7年戦争や、アメリカ大陸でも英仏戦争などを経て、次第に軍が先か商人が先かの時代になってきて、軍の方が先・砲艦外交になって来たのがあへん戦争以来の中国進出だったでしょう。
その延長で上海や南京の租界地ができたのでしょうが、わが国の武士はこれからも書きますようにそんな経験が有りません。
中国各地に進出しても、邦人保護というよりも戦う目的で言ったので摩擦が大きかったように思います。



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