08/15/05
気象台から気象庁へ(治山治水の必要性1)
気象庁と気象台の関係に戻しますと、現在の組織では、気象台と言う現場は、政治判断に左右されずに客観的データの集積に努め、その発表をする責任は行政組織である気象庁が政治判断を加味してするということになります。
これでは、天気予報を聞いて出かけるよりも、自分で空模様を見てから出かけた方が確かなことが多いわけです。(冗談です)
真面目な話に戻しますと、今では政治判断というよりも、気象の占める政治的役割が減少したので、次第に格下げになったのかもしれません。
今だって、地震・台風・風水害など大事件じゃないかと思う方が多いでしょう。
それに、わが国では、教養の最初として古代中国の3皇5帝(尭舜ウ)の伝説を学びますので、帝王の行うべき行為・政治の基本は「治山・治水」であると、みんなで信じこんでいます。
しかし、それは中国の話であって、わが国では、黄河のような大河はありませんし、山が迫っているというか、河岸段丘が殆どですから、川っプチにさえ住まなければかなりの大水でも安全でした。
ですから、知識人が、中国の歴史をありがたがりますが、本当は風土が大違いですので、わが国には関係ない歴史なのです。
実際は、信玄堤が出来るころまで、治水工事などは必要がなかったのです。
黄河文明とかインダス文明などを学校で習うので、つい大きな河のほとりで生活していたのかと誤解しますが、黄河の場合もその支流の渭水等小さな川のほとりが生活の場だったのです。
それが一定程度発達して、交易が発達してくると、長距離移動に便利な大河に徐々に近づいていったに過ぎないでしょう。
いわゆる都市国家といわれるものは、(洋の東西を問わず)農業をある程度卒業した商業都市、市場(マーケット)のある空間だったのです。
西洋ではギリシャ・ローマ或いは地中海沿岸に都市国家が発達した所以です。
都市の真ん中に広場があるのは、こうした成立の歴史からみれば当然の結果ですが、わが国では、商業都市から始った歴史がなく、ず〜と緩やかな農村状態のままで来たのです。
私の若いころの都市論では、東京は巨大な農村であるといわれていましたが、西洋や中国の概念での都市ではないのです。
西洋や中国と一致しないから、遅れているという論法は納得しませんが・・・・。
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