08/13/05
院の復活(戒名から大審院へ)
たとえば、日光山輪王寺 大猷院 と言う廟所をご存知でしょうが、これは日光東照宮を造営した3代将軍家光の戒名でもあり、その廟所の名称でもあります。
或いは天障院篤姫などがその1例です。
徳川家では、院の名称は死んでしまった人や未亡人(まだ亡くならない人という凄い意味です)の名称に格上げ?またはこの世から所払いしてしまっていたのです。
これを復活させたのが、王政復古にこだわった明治政府で、上皇や院の絶大な権限を大袈裟に宣伝してからでしょう。
明治政府は「・・・・・院」の復活に積極的でした。
太政官府を正院と称し、その下位機関を左院右院と称しました。
その後も大審院と元老院を設立し、さらに枢密院が出来、憲法発布では貴族院と衆議院が出来ます。
それにしても、良く研究してみると後白河法皇のように引退後もヘンな権勢を振るうと困る事も分ってきたので、「院」は主として、直接の生臭い世俗の権限・・行政から離れた権威として、明治政府は再利用することにしたようです。
徳川時代にあの世に行ってしまった人の戒名や未亡人の称号から、少しばかり現世に戻したところに落ち着かせたと言うべきでしょうか?
これまで紹介してきた大審院、控訴院の外、現在でも会計検査院・人事院など時の権力抗争から超然とした権威を要請される機構に使われるようになって現在に至るのです。
明治以降は、政府の宣伝のおかげで「院」と言えば権威があるような気がして来ましたので、寺院に始って病院どころか接骨院、果ては養老院に至るまで、「・・・・・院」の利用が盛んになっています。
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