08/08/05

検察官10と代官(Procureur)1

どころで検察官は、フランス語では今でも代官をあらわす「Procureur」のままらしいですが、わが国ではこれまで書いて来たように、フランス法の導入以前の弾正台の改組から生れたものですから、続日本紀・養老5年(726年)に出てくる名称である検事・検察官が採用されたそうです。
続日本紀は、古代史のそれぞれの分野では、余りあてにならない文献のように書かれている箇所もありますが、あてになる部分もあるようですから、ところどころは使えるのでしょう。
嘘つきの話でも、何割かは本当のことが含まれているのと同じです。
それによると「攝官」(のちの検非違使と同じような官職)を補佐する者の名称を「検事」に改められた事が分るような記載があるらしいです。
わが国では、元号を決めるときにも、なにやら難しい古文書の一節を持ち出す慣習ですが、検事と言う官職もこうした慣習の応用から生れたのです。
08/04/05検察官6(公益の代表者1)のコラム以下で、フランスでは国王の代理人・代官に始り、フランス革命を経て、公訴官になり、公益・人民の代表者として発達した歴史を紹介しました。
わが国も、これまで書いて来たように、現行の検察庁法の検察官の職務が、刑事公訴官と公益の代表者の双方の役目があることから言えば、フランスの代官・・・国の代理人)そのものです。
そこで、この結果をみて、検察官制度はフランス法の代官Procureurに始まると解説する本が多いのです。
しかし、日本の検事制度は弾正台から始っていて、最初は、前回までのコラムで見たように、裁判の監視機能だけしか考えていなかったのですから、フランスの代官と始まりが同じではありません。
弾正台は太政官ですら弾劾するための制度でしたが、そこから裁判官の監視機能に格下げした制度になったので、その下位に存在した古代の検事という言葉を選んだに過ぎません。
07/30/05「弾正台1(検事の由来1)」に書いたように、明治5年の司法省職制で検事が生れたのですが、ボワソナードが招かれたのはその翌年あたりですから、その当時フランスの制度は知らなかったのです。
本来わが国の検察制度はフランスの検察官または代官に由来するものではないのです。
ですから、明治政府がフランスの代官制度を知ったうえで、敢えてその翻訳によらずに新造語したのではなく、わが国独自の検察官制度の上にフランスの代官制度を徐々に接木して行った歴史と言えるかもしれません。



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