08/08/05

検察官9(公益の代表者4)

でも何かというと民間には任せられないという考えの人が多い(ホンとかな?)のですが、(現在の郵政民営化問題もそのひとつでしょう。)民間を信用できないと言う思想は、あちこちで破綻していると思います。
いろいろな情報処理自体を民間会社を使い、その会社が下請け孫受けを使う時代です。
仮にその思想が正しいとしても、公益機能を担う官職が刑事事件を専門にする筈の検事であるのは不自然です。
刑事オンリーの印象のある検察官が、当事者になるべき適格者のいないときに、公益の代表者として申し立て人になり、あるいは被告になる民事の各種規定は、民事と刑事の区別がはっきりしなかった時代の遺物なのでしょうか?
一見そのようにも見えますが、歴史の流れから見ると、検察制度は刑事から始って、フランスの代官の有する公益機能も併せ持つようになったから、ごっちゃになっているだけのことでしょう。
このために検察庁では、国の代理人として民事裁判をする専門官として「訟務検事」というヘンな名称の検事を抱えています。(無実の犯人と言うような使い方です)
民事刑事両方の国益の代表者となった時点で、(民法制定時)フランスのように名称を代官(国の代理人)と改めていた方がしっくりします。
検察官とか検事の名称では、常識的語感が刑事オンリーの印象ですから、その意味でも馴染まないでしょう。
これまで書いているように、わが国の検察官は、発足以来敗戦時までは裁判監視機能というヘンな機能を併せ持ち、これに主眼を置いていたものですから、公訴官に特化することが出来ず、(特化していれば、代官・代理人で一貫します。・・・・・これが戦後の刑事訴訟法の精神です。)検察の名称のままになったのです。
そして戦後は、ついに国家または公益の代表・代理機能に特化したのですから、名称を変えるべきだというのが、この連載での私の意見です。
ちなみに明治初年の刑事法廷の状況が法制史の本に書いていますので、紹介しておきましょう。
明治6年の断獄則例は、治罪法制定まで利用されていた法廷規則ですが、これによると、
   「判事、解部、検事各1名で法廷を構成し、判事が罪囚を推問し、解部はその口供を筆録し、検事は陪席して裁判を監視する」
と書かれています。
(牧英正氏ほか法制史320ページ・・特にことわらない限り、これまでも書いていますが、同氏の本の引用です)
この時点では、検事は公訴官・裁判の当事者ではなく、裁判監視のために派遣されている者で、監視した結果を司法卿への報告する者だったのです。
これが、明治8年の検事職制章程によって、
     「弾告シテ判を求ム」
官となり、次いで、明治11年、司法省は、すべての犯罪について、  
     「検事ノ公訴ニヨリ処断スル」
として公訴権を付与したのです。
このように、徐々に公訴官としての機能が鮮明になって行きますが、(現行制度はその完成型でしょう)このころは、すでにボワソナードによる西洋近代法の講義を受け、その影響下にあったからでしょう。



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