08/03/05
検察庁法4(法の改正)(憲法116)
「検」の意味はいろいろあるとしても、検事の「検」は、事柄のよしあしを調べてその検断をする意味でしょう。
現行法下では、起訴・不起訴処分の自由裁量権・起訴便宜主義にその権限が残っているだけではないでしょうか?
それにしても、今では、検「察」・・・裁判所に対する監視機能は全くなくなっていることは明らかです。
一般に犯人検挙と言いますが、検察庁が独自に捜査して検挙するのは、東京や大阪の地検特捜部に限られています。
特捜部以外は、独自捜査を全くしていないのです。
捜査の元締めとしての「検事」としての機能でさえ殆どなくなったのですから、戦前そのままに「検察庁」とか「検察官」と言う名称は実態に合っていないことが明らかです。
公訴官を意味する別の名称に、改名したらどうでしょうか。
これまで書いて来たように、検察官の名称だけでなく、検察官の職務として書かれている、裁判所への通知請求権、意見表明権は、明らかに憲法原理に反していますから、削除すべきでしょう。
このような現憲法体系と矛盾している箇所は、憲法であれその他の法律であれ、いろんな場面で存在するのは、当然です。
法律は政治の結果ですから、妥協の産物として、異物が混入するのはむしろ健全と言うべきかもしれません。
しかし、その後時代の進展につれて、民心も変わり妥協すべき支持層が少なくなって来たのですから(今では、戦前のように、検察が裁判を監視すべきだと言う意見の人は皆無に近いでしょう。)、民主化に向けて完成した法体系と矛盾する規定は、順次削除・改正していって欲しいものです。
大変革時であった明治維新当時も、朝令暮改と言えるほど順次改正していった経緯を、裁判所のインフラ、や刑事手続法の紹介で、この7月中旬から現在連載中です。
(途中で検察官に嵌っているのです。)
教育制度についても、頻繁に改変されていった経過について、09/24/03「教育改革・・・・明治維新と学制改革(学制) 2(復古政策)」以下で約1ヶ月間連載しました。
明治憲法が出来たのがやっと明治22年(施行が23年)で、その後も法典編纂事業が続き、民法や商法が、30年代初め、刑法が40年代とほぼ明治時代一杯掛かって体系的に固まったものです。
皇室関係法令は、明治の終わりから大正時代に入ってやっとまとまったものであることを、05/19/04「皇室祭祀令 2と雅子妃殿下の苦悩1」前後で紹介しました。
大改革では、後から出来た基本法と矛盾することになるのはいくらもあるものです。
権力者が本当に改革したければ、明治維新のときのように妥協の産物としての復古主義などの混じったものを一旦つくり、それから繰り返し少しづつ変えていくのが本来でしょう。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:検察に関するコラム
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