08/31/04
外交官出身政治家の活躍(吉田、幣原、芦田)と戦後政治
民主党の反主流の雄・幣原氏は、外交官から出発し、民政党の外相となり、軍縮外交の責任者として活躍しますが、満州事変以降軍縮が頓挫し、戦争突入の軍拡時代になって表舞台から消えていた人物でした。
戦後と言うか敗戦処理段階から、政界復帰し、天皇人間宣言を起案したり、憲法改正時の総理となっていますので、憲法に関心のある人には知られた人です。
彼はその経歴から言って平和主義者で、憲法前文の平和主義の宣言などは、彼の発案によると言われているほどです。
アメリカ軍の推し付けではないのです。
そう言えば、次の芦田内閣の芦田氏も外交官から政治家に転進組ですが、政治家トップとして、吉田茂、以来外務官僚出身者が連続したのは歴史上異例でしょう。
内政があって、その利害を損なわないようにするのが外交であって、内政の分らない外交官が内政の責任者になるのは本末転倒です。
ここ何十年以上前から、繊維、家電製品、鉄鋼、農産物交渉などはそれぞれ担当大臣が出向いて交渉するようになっていることから分るように、外交は内政の延長ないし結果なのです。
それなのに、内政の重要な経験者であるべき経済官僚出身者でなく、外交官上がりばかりがトップになる時代だったのです。
どうしてこういうことが可能になったのかといえば、当時のわが国が、連合軍最高司令官の施政下にあったことが大きな原因と思います。
ポツダム宣言受諾後は、さしあたり必要な人材は、英米との外交経験者でした。
そこで吉田茂が抜擢され、その後も連合軍すなわちG・H・Qとの折衝に必須の人材が幅を利かせるのは時の勢いと言うところです。
当時の政治は、例えば、芦田首相はG・H・Qのイエスマンとして有名ですが、次の吉田内閣も(1948年10月ころから)、予算案の内示を受けてそれを実行する内閣でしたし、経済政策でさえも、1949年のドッジラインを見ればわかるように、G・H・Qの言うとおりで良かったのです。
当時の政策を細かく言わなくとも、政治家トップの経歴で、戦後長い間G・H・Qとの意思疎通が政治の中心だったことが、分ると言うものです。
大蔵省の言いなり時代には、銀行トップが大蔵省や日銀の天下りばかりだったのと同じです。
あるいは許認可中心経済では、大手企業に始まり、老人福祉施設に至るまで、天下りがトップに就任しているのもその実例です。
こうしてみると、その社会の各分野のトップの経歴の観察によって、その国や社会の実質的権力のありかが見えて来るとも言えます。
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