08/30/04
政権獲得の王道「社会党の経験1」片山内閣
政党は本来の政策の支持を得て政権を取らない限り、汚職などの敵失の追求ばかりをしていて、たまたま政権が転がり込んできても、従来から主張していた政策は何もできないのが、歴史から得られる教訓でしょうか。
主張する政策がよくて国民多数の支持を受けても、実行する能力(実行するだけの支持者やマシーン)もないのに就任すると「あの政党は一回やらせたが散々だった」と言うマイナスイメージだけを残してしまう恐れがあります。
終戦直後に成立した社会党片山内閣のマイナスイメージが、社会党が2大政党であった期間中何十年も引き合いに出されて、政権担当能力に疑問符をつけられていたものです。
社会党片山委員長は、和歌山出身の弁護士で大衆救済運動に取り組み、社会党結成に参加し委員長になった人で、今でいうところの市民運動家出身・・管直人氏の大先輩みたいなものでした。
我々今の弁護士もそうですが、野党的批判はしますが行政経験がないのが普通です。
そこで、思いがけず憲法改正後の第一回衆議院選挙で第1党になってしまったものの、党には人材がまったくいませんでしたから、西尾幹事長が実力相応に第2党(社会143、自由131、民主124、国協31)の自由党に首班(現憲法では首班ではありませんが、当時はまだそういう表現でした)を譲り、社会党は数人の閣僚さえ入ればいいという方向で調整を図ったのです。
ところが、自由党が人選に強硬姿勢を貫いたために決裂し、結局自由党を抜いた3党連立政権になったのですが、自由党による民主党の内紛に乗じた多数派工作が進行していたために、抜き打ちで総理指名を実施して片山内閣が発足しました。
抜き打ち指名のため、閣僚名簿の準備さえなく、片山氏が全閣僚を兼任する、たった一人の認証式をしたのです。(歴史上最初で最期でしょう)
6月にはいって、やっと、連立内の人事協定が成立し、連立3党(社会、民主、国民協同)の閣僚が決まったのです。
閣僚をどうするかについてさえ、身近に進言できる有能な側近がなくて困ったらしいのですから、政治というのは人脈がなくて、独りだけ識見があってもどうにもならないことが分るでしょう。
こうして何とか片山内閣は発足しましたが、幣原氏は総理経験がありますが、彼は民主党の内紛の一方の当事者で、社会党との連立反対派でしたから、後に芦田派と袂を分かち民主党を離党する人物ですから当てになりません。
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