08/13/04
旗本と与力13(世襲と一代限り)
話があちこちに行きますが、現在のゲリラ、テロ戦法に正規軍で向かうのは、犬などの小動物の攻撃に対する恐竜みたいなもので、なす術がないというところでしょう。
アメリカ軍がいくら強いと言っても、イラクでは地元の警察との連携がうまくいかないとどうにもならないでしょう。
徳川家では、こうした特性を承知していたので、治安維持の仕事を、正規軍である旗本御家人の仕事にはせず、これを1代限りの役職として臨時雇いにしたのです。
世襲制と1代限りの場合とでは忠勤度は必ずしも違わないのです。
終身雇用と任期制の違いもそうですが、任期中に頑張らないと次の更新期待をもてませんし、1代限りの場合、忠勤に励まないと自分の子供にまで事実上の世襲が回ってきません。
では、何故実力次第の武家社会で世襲制が発達したのでしょうか?
あるいは戦後の終身雇用制度が機能したのでしょうか?
命を的に戦う場合、その報酬が相続人に行かないのでは、死んでしまっては何にもならないので誰も命がけで戦わないでしょう。
また主君の退却のために、自分がしんがりになって支える人もなくなってしまいます。
これに対して平和時になってからの仕事は、そのつど命を的に戦うことは滅多になく、仕事を同僚よりもきちんと仕上げるなどの細かい作業に移っていきますので、成果は原則として働いたその人が受けるのです。
こうなってくると、世襲では却って働き甲斐がないということになりますので、非効率、不平等となってきます。
こうして考えて行きますと、身分差別、世襲非難は、何も新憲法(基本的人権尊重)の専売特許ではなく、平和時における労働形態として、合理的でなかったことが分ります。
徳川政権では、世襲制が非効率だと分っていても、「功労には子々孫々まで報いる」と言う建前で来たのに、政権が確立した途端に徳川政権樹立に功労のあった家臣や相続人を無能だからと改易することはできません。
そこで世襲制をそのままにして、1代限り(終身制)の与力制度を創設したのでしょう。
これまでの都市計画や国家予算などでは、旧来産業の予算をそのままにして、新規産業分野の予算だけ追加していくのと同じです。
これは、経済の膨張時には、みんな幸せと言うやり方ですが、人口が縮小に向かい始めると、町の中心部も郊外も両方に予算と言うのは無理が出てきます。
この無理を通すために、無約の旗本、御家人からは、一定の返納を命じたり、役に付いたものには足し高の制を採用したり(足し高の制については、02/26/04「与力 (寄り騎)8と足高の制の功罪1」以下のコラムで連載しました。)徳川家は苦労してきましたが、結局明治維新まで根本的な改革を出来なかったのです。
明治政府になってやっと金禄公債の発行で、打ち切り保障をして世襲制から抜け出せたに過ぎません。
このいきさつは、06/19/04「明治政府の合理化1(廃刀令と家禄制の廃止)金禄公債証書1」のコラム以下の連載で紹介しました。
なお、世襲については、11/15/03「小選挙区制と世襲」その他いろんな角度から、別に連載していますので、事務所内サーチで検索してみてください。
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