08/03/04
税制の小史1(継続税収と冥加金)
少しテーマからずれますが、酒税を書いたついでに、ここで税制、裁量行政と汚職の誕生の関係を考えてみましょう。
昔は農業からの税収に基本を置いていましたから、現代のようにどの職種からでも継続的に税金を取るという思想や仕組みができていませんでした。
その結果足利政権のように、関所で通行料を取るのが流行ったのですが,(このころは、農業だけでなく「馬借」といって運送業が大きな産業になっていました。)これは信長と後継者の秀吉が整理してしまってなくなってしまいました。
足利氏(日野富子)が関所を作って交通税をとったのは有名ですが、足利氏が直轄領地を持たなかっただけでなく、農業に対する課税だけではどうにもならない時代がきていたということでしょう。
足利家に限らず、各大名も関所を細かく作って通行税を取っていたのです。
戦国時代末期に関所が廃止されるようになったのは、たまたま金銀が豊富に採掘できるようになったことと、そのころから各種生産活動が飛躍的に活発化してきたことなどがあいまって、城下町経済が発達し、けちな交通税をとるよりも、流通を良くして自分の城下町に商工業者を誘致するほうがメリットがあったに過ぎません。
豊臣政権では、金銀山の採掘権で巨利を得ましたので、(何しろ、アメリカのゴールドラッシュに匹敵する産金量でした。)税金の取立てには鷹揚でした。
その結果、京の町衆には今でも人気があります。
物語に出てくるご朱印船貿易は、秀吉が始めたのか家康だったか今のところ私には正確には分かりませんが、(法制史の本によると秀吉は糸割符(さいふと読むそうです)を始めたらしいです。)いずれにせよ金銀が枯渇し始めてから、税収に必死になったのは徳川政権からでしょう。
徳川家はもともと貧しいのです。
殆どの本では、江戸時代の商業化が進むにつれて、農業に頼った幕府財政が持たなくなったと書いていますが、農業収入だけでは、政権が持たなくなったのは徳川政権末からではありません。
平安末期から、いくつもの「座」が公認されるようになっていたことは歴史上明らかですし、これが信長(始めた人としては有名ですが支配地だけでしかなく、全国展開したのは天下人になった秀吉です)、秀吉の楽市楽座でぶち壊されたのですが、それに変わる継続的税収制度が発明されないまま幕末にいたっただけでしょう。
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