08/01/04
電波法の合憲性について2(憲法88)
これまで紹介した例から、許可制の存在意義について考えてみますと、理論的に許可が妥当な場合でも、現在社会では、お気に召すままと言う自由裁量は止めるべきでしょう。
すなわち許可不許可の基準は、検査、テストなど、客観的な基準にかからせ、その判定は、専門家の考査にゆだねて,その合否判断に政治的裁量の余地が入るの阻止するのが合目的的です。
許可になるかならないかは、個人的な好き嫌いや政治的利害(人脈・見返り)によるのではなく、一定の水準・能力に達しているかどうかを判定するためのものであれば合理的であり、その限度で合憲であるといえるのではないでしょうか。
形式的な基準を満たしている時に許可しようという分野では、原則認可制・登録に移り、個人の能力判定など機械的に決めきれない基準に関しては、試験制度を充実させながら、免許制を残しているといえます。
その試験制度も透明性をはかる為に受験生に対し、個人情報を開示するのが今年の流れです。
そして、医師免許や運転免許などを見れば、試験さえ合格すれば後は登録制にするのが合理的で、試験に合格しているのに裁量で免許を与えないというのは、許されなくなりつつあるといえるでしょう。
こうしてみると許可制の中でも、政治的裁量の余地を残す為の許可制は問題が大きいと思われます。
勿論裁量にも自由裁量と覊束(きそくと読みます)裁量という違いがあって、(行政法の分野の概念ですので機会があれば、詳しく説明します。)後者は一定の合理的な範囲を超えると違法と評価されることがあります。
少しでも裁量権を合理化しようとする学者や判例の努力の結果でしょうが、考えようによれば、こうしたいじましい努力で、憲法違反にしないで合憲解釈する温存結果にもなっているのです。
電波法の考えは、表現の自由の最も大きなものである放送すること自体が、そもそも違法なものとした上で、お上の恩恵で、許可を受けて初めて合法になるという免許制にしているのは、おかしいと思いませんか?
人が道を歩くのは生まれつきの権利・合法であるが、交通整理のために道路交通法で制約があるのと同じ考え方で、電波で自分の意見を言うのは本来合法であるが、有限であるから整理する、あるいは、社会に迷惑をかけないような準則を作る(食品衛生法的なもの)と言う考えでは何故いけないのでしょうか?
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