08/29/03
起訴便宜主義6(刑事訴訟法8)(検察の独立性を守るには)
これまで検察庁法で見てきましたように、権力者の方が、強力な検察権力を心配して法務大臣の検察に対する権限を、いちいち、「これでもか」と言わんばかりに、くどくどと厳重に規定して、意に副わない権限行使しそうな検察官は、いつでも、どこへでも飛ばして仕舞える(転勤転任)ようになっているのです。
権力者が、自分達が検察に好きなように脅されたのでは、(検察ファッショ)良い政治が出来ないと言うのは、分かりますが、そこから、現権力者だけが、検察をコントロールできると言う仕組みにしてしまったのでは、野党や、反権力者(与党内反主流も当然含みます)にとっては、戦前の暗黒時代と法的には、ほとんど変わりません。
起訴、不起訴の裁量権を全くなくす訳には行きませんので、占領軍・G H Qは、どこかで裁量権を行使しなければならないとすれば、法律家であって、弁護士から、選挙で選らばれる検察官が、独占的裁量権を持つのが妥当であると考えたのでしょう。
ところが戦後の展開は、自民党一党支配が恒久化した結果、法曹一元も実現せず,検察は中立どころか、体制志向を強く持つようになりました。
また、そうした志向性のある合格者が進んで仕官する官庁になってしまったのです。
話が変わりますが、ある人が裁判官や検察官になることを、任官と言うのが一般的ですが、(また、その希望者を任官志望と表現します。)私は正しくは仕官すると言うべきではないかと思っています。
任命権者が、ある人物を、官に任ずるのが任官であって、官になろうとする人は仕官するものですが、お上に、任官(任命)して欲しいと思っている人が任官(を)志望している内に、任官志望と言い習わして、終いには、任命される受け身語を、能動語である「誰某(私人)が任官する」と言う言い方に転嫁したのだと思います。
法曹一元については、「07/04/03法曹一元 1(民主主義の基礎)」以下のコラムで、10回ほど連載しましたので、併せてお読みください。
自民党は検察ファッショが恐いという理由で、検察のコントロール権を手に入れてしまいましたが、本当に怖いのならば、(後進国や戦前では、軍部に睨まれたらおしまいと言うのに似てます)これを中立的にコントロールすべきでしょう。
もともと、検察から偏頗な捜査を受ける確率は、与党権力者よりも、野党、反権力者に多いのは自明ですから、法曹一元が実現しない以上は、むしろ、野党6対与党4くらいの委員会でコントロールするのが公平と言うものではないでしょうか。
もちろん昨年の田中真紀子さんと官房長官、鈴木宗男議員の確執を見れば明らかなように、与党内の方が権力争いが熾烈ですし、野党もまた、必ずしも新しい価値観を代表していないことがままありますので、中立側委員(例えば日弁連会長経験者など)が10人中3名程度を占めるのが妥当でしょう。
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