08/20/03
令状発行権者は、誰か?(憲法26)
刑事事件の運用については、捜査の着手、逮捕段階 の担当機関と逮捕状などの発布する許諾機関をどこにするか、逮捕状などの令状の請求機関をどこにするか、さらには、捜査が終わった後の処分、すなわち公判請求など次の手続きに進むかあるいは、不起訴処分にするかを、誰が決めるかの問題があります
強制捜査に 着手する為には、裁判官の令状がなければならないことは、憲法の令状主義のコラムで説明しました。
ところで、憲法では、裁判官と明記せず、「司法官憲」と言うだけです。
憲法の条文をもう一度見ましょう。
憲法
第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。」
戦後まず、憲法が制定されてから、刑事訴訟法が制定されました。(憲法公布は、昭和21年11月3日、刑事訴訟法公布は、昭和23年7月10日です)
憲法制定時には、刑事訴訟の手続きに、予審判事制度が設けられるのかどうか、検事の役割をどうするか、どの程度行政から独立するべきかなどの詰めが出来ていなかった事から,こういう曖昧な用語になったのではないかと、(官憲という言葉は、捜査機関にいる法律家を連想させますね)私は考えています。
ちなみに、憲法のもとになっている英文の文言は、以下のとおりです。
No perason shall be apprehended except upon warrant issued by a competent judicial officer which specifies the offense with which the person is charaged, unless he is apprehended,the offense being comitted.
憲法の厳密な意味を探るためには、英文を見なければ分らないという点では、押し付けられた憲法と言う右翼や自民党の主張も一理ありますね。
ポツダム宣言を受諾した我が国では、ポツダム宣言に副った改正しか許されなかったのですから、現憲法制定にあたっては、一言一句まで、占領軍最高指令部と擦り合わせをしなければ、ならなかったのです。
その結果、オーケーが出て、憲法成立となったのですから、その正確な意味を知るためには、英文を参照する必要があるのです。
ところで、法律家養成の要件を定める基本法である、司法修習制度を定めた裁判所法が制定公布されたのは、昭和22年4月16日であり、同日に検察庁法も公布されています。
検察庁法
第十八条 二級の検察官の任命及び叙級は、左の資格の一を有する者に就いてこれを行う。
- 司法修習生の修習を終えた者
- 裁判官の職に在つた者
- 三年以上政令で定める大学において法律学の教授又は助教授の職に在つた者
- 副検事は、前項の規定にかかわらず、次の各号のいずれかに該当する者で政令で定める審議会等(国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第八条に規定する機関をいう。)の選考を経たものの中からもこれを任命することができる。
- 裁判所法(昭和二十二年法律第五十九号)第六十六条第一項の試験に合格した者
- 三年以上政令で定める二級官吏その他の公務員の職に在つた者
- 三年以上副検事の職に在つて政令で定める考試を経た者は、第一項の規定にかかわらず、これを二級の検事に任命及び叙級することができる。
第十九条 一級の検察官の任命及び叙級は、左の資格の一を有する者に就いてこれを行う。
- 八年以上二級の検事、判事補、簡易裁判所判事又は弁護士の職に在つた者
- 最高裁判所長官、最高裁判所判事、高等裁判所長官又は判事の職に在つた者
- 前条第一項第一号又は第三号の資格を得た後八年以上法務省の事務次官、最高裁判所事務総長若しくは裁判所調査官又は二級以上の法務事務官、法務教官、裁判所事務官、司法研修所教官若しくは裁判所書記官研修所教官の職に在つた者
- 前条第一項第一号又は第三号の資格を有し一年以上一級官吏の職に在つた者
- 前項第一号及び第三号に規定する各職の在職年数は、これを通算する。
- 前条第三項の規定により検事に任命された者は、第一項第三号及び第四号の規定の適用については、これを同条第一項第一号の資格を有する者とみなす。
このように原則司法修習生からの採用となっています。
こうして、次第に戦後の刑事手続きに関する基本的骨格が固まって、刑事訴訟法 が最後に制定されたときには、検察庁法で紹介しましたように、検察官は、法律家ではあるけれども、政治家である法務大臣の指揮下に入ることになりました。
検察官は刑事訴訟法で裁判所に対して逮捕状や、勾留状、等の令状請求権者と明記されましたので、憲法で令状を発布する司法官憲ではなく、行政庁の一部として位置付けられたのです。
憲法の概念が、あとで制定された刑事訴訟法等で決っている不思議な例ですね。
明治時代に、民法を制定する前に付属法である戸籍法などを順次整備していったことは、「07/08/03「皇族は日本国民か?(戸籍制度 1)」以下のコラムで紹介しました。
新憲法制定は、まずは、ポツダム宣言の受諾があって、敗戦の混乱時に、その宣言に反する法律は、原則としてすべて効力を失いました。(ポツダム勅令)
その結果、漢の劉邦のように、文字とおり、「法3章のみ」に近い事になったのですから、現代国家においては大変な事でした。
にわかに憲法改正から着手したドタバタぶりが窺われますね。
下から順次積み上げ、慣行や判例が固まってから法制定し、そうした実績を見て、基本法が出来るわが国と、トップダウン形式のアメリカとの文化の違いでもあるでしょうか?
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