07/23/08

狂乱物価と平成バブル(過剰流動性)

危機管理能力欠如の結果生じたわが国の被害を見ておきましょう。

60台以上世代には、強い記憶として残っている昭和40年代末ころに発生した狂乱物価は、じつはこのときの政策当局の対応ミスによって惹き起こされたものでした。

ニクソンショックとの時系列的関係を見ますと、スミソニアン協定直後(昭和47年7月)に田中内閣が成立し、列島改造ブーム→第4次中東戦争(昭和48年)→石油危機発生の便乗値上げによる狂乱物価につながっていくのです。

あのころの物価上昇率は異常でした。

私の個人的経験・・印象だけですが、当時年率30%前後の物価上昇が何年か続いた感じでした。

当時弁護士の初任給が10万円前後だったのですが、それが半年1年単位で15万円20万円と上がり数年で30万円と上がった時代です。

現在の弁護士初任給がまだ50万円相場ですから、その当時の物価上昇の激しさが分かるでしょう。

(この間弁護士の地位低下もありますが・・・)

実は、当時の狂乱物価の大本は、諸外国が外為市場を閉鎖したのに対して、外貨両替を継続したことによる莫大な外貨流入・・円による買い支え=円紙幣の大量発行→過剰流動性発生となったことが基礎的原因でした。

それどころか、スミソニアン協定後も円高の阻止のための為替介入の継続およびその後の円高不況対策として低金利政策を採用していたことによる、紙幣の大量発行を続けていたので国内で過剰流動性状態になったのが主たる原因でした。

田中角栄総理が幾ら列島改造ブームをあおっても、その後石油危機になっても買いに走るべき紙幣がなければ、値上がりしようがないので、ただ売れ残って終わりだった筈です。

平成のバブルも、1985年のプラザ合意後の急激な円高による不況対策として同様の対策を講じたことで、過剰流動性が原因で発生したものです。

日本の政治家や金融マンは、僅か20年弱前の狂乱物価の経験をまったく学ばず、同じ轍を踏んでいるのです。

平成バブルの場合は、過剰流動性が原因であったことが、狂乱物価のときよりも、もっとはっきりしています。

このときは、石油の値上がりなど外的要因もなく、あったのは急激な円高だけでした。

このときは、円高対策としてのドル買い支えによる外貨準備の急激な積みあがり・・過剰流動性発生と円高景気対策としての低金利政策が原因だったのです。

急激な円高は、物価下落要因ですから、輸入物価上昇にはならなかったのですが、輸入の出来ない土地と土地関連バブルが生じたのです。

円高対策・・ドルの買い支えによる過剰流動性によって、金余りの銀行が、たとえばゴルフ会員権や高級絵画、リゾートマンション、投資用ワンルームマンションなどの販売との融資をセットする押し付け金融以外になかったからです。

この点は、銀行の役割終了の観点から、02/24/06「金貸しと銀行の区別2(間接金融・・政府主導経済の先兵)」その他で書きました。

 



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