07/06/07
離婚の自由11(マハル)
イスラムの領域が砂漠地帯だけでなく、海岸沿いに広がった後に、オアシスの権利が貨幣支払いに変わって存続できたのは、日本のように財産が農地主体の社会(不動産といって移動できませんので、せいぜい収納権の移動でしかなかったことを書いてきました)と違って交易社会のアラブ特有のことであって、これをイスラム法社会の広がりに併せて、東南アジアのインドネシアまで全般に及ぼすのは無理でしょう。
アラブ以外のイスラム圏では、持参金制度があってもたぶん名目的制度になっている筈です。
このような大金を結婚前に払えるのは、大成功した限られた人だけですから、ハラル制度を維持する限り、イスラム世界では必然的に1夫多妻妾制度が、維持されたままになります。
(今度は、男女人口比の関係ではなく、お金の関係になったのです。)
お金だけで縛るのは、無理があるので、マハルのルールは建前だけになっているのではないか?と言う私の印象です。
男女比のバランスが1対1に近づけば、お金だけで多妻制を維持するのは、無理ですから、
多妻・妻妾を道徳的に非難されないと言うだけの社会になっているのでしょう。
生存環境の厳しいアラブ世界では、ルールが末端まで行き渡りますが、それ以外のインドネシアなど、生きていくのに、困らない社会・・少しくらいの人口膨張に寛容な社会では、庶民には厳しいルールは不要です。
持参金の用意できない庶民でも、そんなルールには関係なく好きになれば、一緒になっているのでしょう。
もともとのアラブの世界は、実態は、農業のような定住型ではなく交易社会だったので、男は、一旦旅に出れば何年も留守が普通ですから、(マルコポーロを想起してください・・当時の商人とはそういうものでした。)行く先々での現地妻が必要でした。
(日本の国姓爺合戦の主人公鄭成功は、現地妻(日本人女性)の産んだ子供でした。)
何故現地妻必要なのか、今になると分かりにくいのですが、今のようにホテル関係が未発達がだったことが大きいでしょう。
こうした事情も、多妻制度を支えた基礎だったのでしょう。
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