07/06/07

離婚の自由10(アラブの場合2)

ついでに、イスラムの一夫多妻制ですが、マホメット以前には、西洋同様に一夫一婦制だったらしいのです。
もともと、気候の厳しいアラブ世界では男尊女卑が激しく子供が生まれると原則として、女の子は間引かれる社会した。
厳しい気候風土ですから、人口増が怖かったのです。
他方で、人口不足社会では、女性の地位が上昇します。
(日本でも戦前戦後の子沢山時代には、女性の地位が最悪になったのです)
そこで、アラブ社会では、まず、女性の数を減らすこと・・究極の出産抑制策・・・に知恵が回っていったのです。
これが、今でも女性を出来るだけ人前に出さない(異性との接触を極力避ける)・・必ずスカーフで顔や手足を隠す風習・戒律にもつながるのです。
この女の子の間引きの習慣によって、成人男女比が極端なアンバランスな社会になっていましたから、力のあるオアシスの権利を持つものだけが結婚できる社会になっていても、ほぼ1対1で釣り合いが取れていたらしいのです。
それが、マホメットのころの相次ぐ宗教戦争で、男性の戦死者が多数出たことから(ドイツ宗教戦争の例でも書きましたが、宗教戦争は死者数が多いのです。)男女比のアンバランスが崩れてしまったのです。
多数の未亡人救済目的で、多数の妻(元は対等者の奥さんですから、妾と言うのは許されず、対等な妻が並立する仕組み・・多妻が奨励されるようになったのです。
アラブの一夫多妻制度は、昔からあるのではなく、マホメット出現時・・イスラム教創設時の過酷な宗教戦争による1時的なものでしたが、これが制度として残ってしまっただけです。
日本でも白村江の敗戦で多くの戦死者が出ましたが、この結果による九州方面の男子不足は防人制度で解決したので、一夫多妻制度にはならなかったのです。
この点は、12/18/05「白村江の敗戦(人的被害)」前後で書きました。
持参金(マハル)の話に戻しますと、その後アラブ世界の沿海部への広がりにつれて、オアシスの権利だけでなく、貨幣が持参金の中心になって行ったのです。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資