07/01/07

離婚の自由2(民法201)カトリックと持参金

ところで、カトリックの離婚禁止の法理は、元来は持参金制度と関係があり、夫がその持参金を自由に使ってしまえたので、(わが国への妻の無能力制度の導入については、03/26/05夫婦別姓9(ナポレオン法典の影響)氏の統一」で紹介しました。)その見返りに安易な離婚が許されなかったのです。
日本でも,明治になって家父長の権威強化・・妻の無能力制度導入によって、)離婚の自由が(離婚後の生活保障のために)制限されてきたのです。
カトリック世界に戻しますと、もともと持参金のない庶民には、離婚禁止の法理はまったく関係がなかったし、・・・そもそも庶民は、教会には行かず、言うならばみんな内縁でした。
西洋中世や近代の物語では、みんなが日曜日に教会に行くような書き方が普通ですが、ご存知のように観光対象になるノートルダム寺院のような大きな教会は例外です。
各地にある、普通の教会の建て物は小さくて、村や町の人がみんな入れるようなものではありません。
地主・領主階級だけの行くところ・社交場だったのです。
(このころの「人」とは、こうした階層だけの表現だったとも言えるでしょう)
逆に日本のように妻の持参金に一切手をつけられない社会では、手を着ければ、それが法定の離婚理由になるほど厳しいものでしたが、その分、嫁さんは何の損もないので、離婚の自由度が高かったのです。
(ただし、嫁入り支度のうち現金部分に関する「持参金」は後記のように当座の費用に使っても良いのですが、離縁となれば、返す義務がありました。)
江戸時代までの離縁(婚)は、自由度がかなり高かったことについては、02/18/05
「離婚の自由な社会2〔江戸時代の離婚制度2〕民法123」前後のコラムで連載してきました。
江戸時代までは「娘3人いると身代がなくなる」と言われるほど、結婚には多くの持参金と言うか生活費分としての領地その他の資産が付いていったものでした。
江戸時代の相続制度のコラムでも、長子単独相続ではなかった事情として、この辺をすこし書いています。
ここまで書いている、持参金と言うのは今の言葉であって、江戸時代までの日本では、一般的に言えば、娘が一生食えるほどの生活費を持って行けるほど、貨幣経済が発達していなかったので、持って行くのは領地・田畑・着物類が中心だったといえるでしょう。
次回から、この持参金制度というか、慣習について少し書いていきます。



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