07/12/06

官の無謬性の弊3(刑事訴訟法24)事後審査社会へ 3

検察官が無罪になったら困ると必死になって、
      「万に一つでも無罪になったら大変だ・・出世できなくなる」
と頑張りすぎて120%自信のある事件しか起訴しないことが続いたことから、刑事裁判が形骸化して来たのです。
その上、かなり有罪の心証の濃い事件でも、もしかして裁判で無罪になると困ると言う心配が先立つことから、検察官が起訴をためらう確率が高くなってしまっているのが現状です。
これでは、起訴便宜主義が、刑事政策の目的完遂のために運用されているのではなく、検察官の自己保身の関心から運用されることになってしまいます。
この結果、刑事政策考慮から言えば、真に処罰すべき大量の犯罪者を検察官の自己保身のために放免している可能性が高いのです。
ちなみに起訴便宜主義とは、便宜・・・ご都合主義と言う意味では、有りません。
起訴便宜主義については、08/24/03、「起訴便宜主義1(刑事訴訟法4)」以下で連載しましたが、ここでお浚いのために、条文をもう一度みておきましょう。

刑事訴訟法
第247条 公訴は、検察官がこれを行う。
 
第248条 犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。

この条文には、事件がキワドイからやめとくべきかどうかの規準は有りませんが、実際には、有罪か無罪か見とおしの付き難い事件は「没」になる確率が高いのです。
きわどい事件も、ある程度有罪の疑いのある総ての事件を起訴し、後は裁判所の判断に委ねた方が治安の悪化に歯止めを掛けられるでしょう。
勿論そのためには、今の人質司法は全廃される必要があるでしょうし、また実際、無罪事件が相次げば、保釈請求すれば原則認められる裁判所の運用に変るでしょう。
裁判も活性化するでしょう。(弁護士もやりがいがあります。)
今のように起訴されれば、100%近く有罪と言う絞込みがあるために、無罪の推定が建前だけとなって、保釈も法律上は原則認めるべきなのに、実際には逆に原則認められない運用となってしまうのです。
また、無罪と有罪が五分五分になれば、マスコミも起訴されたら、もう立派な犯罪者と認定されたような扱いをやめることになるでしょう。
結局は、検察官が間違いのないものだけ起訴する手堅い?運用が、無罪の推定精神に反しているので、裁判所も建前上は、無罪を推定しているといいながらも、事実上有罪の予断を持つようになり、マスコミも国民もみんなそうなってしまっただけの話です。



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