07/08/06
明治以降の刑事関係法の歴史5(旧刑法・・ボアソナード)
06/01/06「参議8(明治の参議)藩閥政府」などで、参議の説明をしているうちに内閣制度の歴史へと、1ヶ月以上も、横道に逸れてしまいました。
今回は参議のコラム以前の、07/29/05「明治以降の刑事関係法の歴史3(清律から西洋法へ1)」の続きにもどります。
ちなみに上記の「・・刑事関係法の歴史3」と言うのは、同日・・・1に「刑事関係法の歴史3」がありますので、刑事関係法の歴史4の誤りでしたので今日のコラムは・・・歴史5」となります。
上記コラムの次から、検事の由来に話しが進み、次々と横へはいっていたのです。
およそ1年近くも離れていますので、お忘れの方は、上記コラム前後をお読み直しください。
現世の話題に遠いテーマですので、堅苦しいかもしれませんが、ま、こうした過去の積み重ねが現在の話題・・・政治・社会問題の深層に繋がっていることが多いのですから、時間のある方もない方も?気長に御読みください。
そうすれば、現在の話題・・・・政治問題により深く迫ることも出来るでしょう。
刑事法の編纂を担当したパリ大学教授のボアソナード教授は、日本の近代法の父と言う人がいるくらいで、刑事関係法だけでなく、旧民法編纂も彼が手がけています。
旧民法に付いては、06/04/03「婚姻制度 (明治時代の婚姻制度3)13(民法典論争2)」のコラムで紹介しましたが、ボワソナードの草案によるものですから、現行民法前の旧民法を講学上ボワソナード民法とも言います。
いずれも(民法も刑法も)、その後国情に合わないということで、「没」になっているので、彼の名前は専門家しか知らない人物になっているのです。
しかし、法の合理化・日本の法意識の近代化に果たしたボアソナードの功績は大きいものがありました。
ボワソナードは、来日当初は自分で草案を作成せずに、気鋭の若手に講義する御雇い外国人そのものだったのです。
この講義を聴いた日本人が刑事関係法典の編纂事業に携わっていたのですが、うまく行かず、明治8年ころからボワソナード自身が草案作成に関与するようになったのです。
この作業は、フランス法を基礎としながらも、ベルギー、ポルトガル、イタリア各国の刑法案を参考にして編纂されたものでしたから、この刑法典は、ヨーロッパ刑法思想の最先端を集大成した法典化であるとも言われています。
この法典は約5年の歳月を経て結実し、明治13年(1880年)に太政官布告され、明治15年(1882)年施行されました。
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