07/06/06

戦後の内閣制度9(憲法170)衆議院解散権3

これまでの経験では、衆議院を解散してみると議員の何分の1かがいつも入れ替わって来たのですが、その何分の1に該当する人にとっては、内閣が解散権を持っていると言うことは、議員に対して、内閣が罷免権を有しているのと同じ効果があるのです。
こうして、国会(議員)はいつも、内閣による罷免におびえている「国権の最高機関」になってしまったのです。
「わが国では3権分立になっている」と学校では教えますが、実際には、行政府優位体制に(憲法解釈上で)変更されているのです。
天皇の政府が国民の政府に変っただけで、行政優位は昔からかわらないのです。
内閣=政府となった戦後憲法において、内閣の権限を強くすると言う意味は、他の国会や裁判所に優越するようにすると言う意味になるのです。
このような動きは、国民主権国家に変ったその実質を、空洞化しようとする試みだったのではないでしょうか?
この点の歴史を振り返って見ますと、GHQ施政下にあった1948年に衆議院を解散する際、当時の第2次吉田内閣は69条所定の場合に限定されないという見解を採っていたのに対し、野党は69条所定の場合に限定されるという見解を採り、他方で、GHQは69条限定説であったために、いわゆる馴れ合い解散をした事があります。
野党から不信任決議案を出してもらって、あえて不信任決議を通過させたので、このようにいわれています。
次に、7条だけによって解散が初めて行われたのは、1952年に第2回の解散でした。
このときは、7条だけによる解散であったために、解散当時の衆議院議員が、(落選したのでしょう)歳費請求訴訟の中で解散の無効を主張したところ、その上告審において最高裁判所は、いわゆる統治行為論を採用し、違憲審査をせずに上告を棄却してしまいました。
これが、いわゆる苫米地事件判決です。(最判昭35・6・8)
これに先立つ砂川事件(最 判昭34・12・16)その他憲法9条関係でも、統治行為論が相次いでいたので、以後政府は、憲法違反論は気にすることがなくなったということから、7条解散が定着し、他方で自衛隊の増強にまい進してきたのが、戦後政治でした。
この統治行為論の判例が固まったころと、戦後政治が、いわゆる55年体制として固まり、曲り角を迎えた時期とも重なるのです。
統治行為論については、06/16/06「憲法148(戦力とは?2)統治行為理論1」以下で既に紹介しました。
一言で言えば、高度に政治性のある国家行為については、法律上の判断が可能であっても裁判所の審査権の外にあり、その判断は政治部門や国民の判断に委ねられるとして、違憲審査を回避する理論のことです。



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