07/05/06
戦後の内閣制度7(憲法168)衆議院解散権1
戦前は、政府(枢密院や天皇側近・軍部)と内閣の対立軸で、内閣が弱すぎたのが問題でしたが、戦後は内閣が政府そのものになったのです。
軍も内閣の指揮下に入ったことを、06/15/06「戦後の内閣制度3(憲法147)戦力とは?1」以下文民の解釈等として、これまで書いてきました。
戦後は、内閣と王権との対立軸がなくなったのですから、この対立軸を前提にした強化は必要なのかどうか・・・何に対して強力になる必要があるかと言う角度から今度は問題にすべきでしょう。
近代国民主権思想によって、議会が王権を圧倒して成立した政府では、行政府は議会の代表または国民から直接選ばれた大統領府になるべきだったでしょう。
その意味では、王制の外から押しかけてきた組織であって、「内」閣ではないのです。
ところが明治政府は、外にあった武家政権の下から上がって来た行政府を、巧妙にも天皇制政府の「内」閣に封じ込めてしまったのです。
内閣と言う熟語は、09/15/03「日本国憲法下の総理 1(憲法28) 「新しい酒は新しい皮衣に1」のコラムで紹介しましたが、元は、中国の皇帝専制を支えるための、内閣・・・官房・・側近的なものから借用したものです。
内閣が中国的・・皇帝の官房・・側近である限り一枚岩ですから、問題がないのです。
我が国の場合、外にあった幕閣を、中国の専制政治向きに出来上がった官房的なもの・・内閣に取り込んだのですから、内なる閣である限り、天皇側から見れば、目の中に入ったゴミ(一種の嫁)みたいなものだったでしょう。
そこで、これの監督のために、姑小姑の集合体・・あるいは親族会議みたいな役割を担ったのが枢密院であり、軍部だったとも言えます。
他方、朝廷内に取り込まれた内閣から見れば、2世代同居の新婚夫婦みたいな立場になったのです。
この結果、議会代表の閣僚と、王権の政府(枢密院+軍部)との間でのセメギあいが必然となったのです。
しかし、革命や日本の敗戦のように、王権が消滅した(君臨すれども統治せずの)場合、行政府の対立相手は、同じく国民の支持を受けた議会であり、裁判所に変るべきです。
戦後、王権=天皇権力が消滅した後には、強力な天皇権力を前提にして、これに対抗するための強力な権力を行政府に与える必要は有りません。
不要な権力を持って、同じく国民の支持を受けた議会を圧倒する必要はないのです。
国民主権国家になった時点で内閣の強化を図るのは、何のために?行き過ぎではないか?と言うのが、今回の視点です。
議院内閣制でも、内閣総理大臣の権限を強力にすれば、大統領同様の指導力を発揮出来るのです。
その上、大統領制と違い、議院内閣制の基本原理として、内閣による議会解散権があります。
この解散権を自由自在に行使できるとすれば、大統領制よりも強力になり過ぎる、いいとこ取りの関係になるのではないか?と言う疑問です。
大統領制と議院内閣制の比較に付いては、06/06/05「大統領制と議院内閣制2(権力=空の思想)」前後でも、書きました。
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