07/04/06
非近代精神の行方 ?2(動物園と刑務所・精神病院2)
ところで、動物園は、昭和40年代から、小さなオリに入れておくのではなく、多摩動物公園などサファリ形式が主流になってきました。
水族館も、小さな水槽で見せるのではなく大きな流れの中で、泳がせて見せる設備が多くなっています。
これと軌を同じくして、昭和50年代ころから精神病院も開放病棟が理想とされ、できるだけ入院させず、通院を基本とした治療、社会適合訓練が重視されてきたのです。
社会的弱者、落伍者に対する発想が、人間以外の種に対する(虎やライオンに対する)のと同じく社会から隔離するだけ(サファリ化したとしても)だとすれば、近代合理主義者・・・最近の勝者の傲慢と言うべきかも知れません。
ちょうど、大和朝廷に征服された各地の元支配者を、各地の神々として祭ったような智恵が、今こそ必要なのです。
最近癒し系を求めてペットブームですが、彼ら主役を務める犬猫、鳥など動物も、元はと言えば、人類の発達につれて自然界の競争から弾き飛ばされた種族です。
彼等は、半端な人間のように卑しくなく、古代のままに、おおらかに生きています。
厳しい競争から遠い昔に降りてしまった彼らの心のありようが、現在社会での敗者の心にやさしいのでしょう。
ただし、今必要なのは、地域別の神様でなく、強者弱者入り乱れて棲んでいる弱者に対するケアーなのです。
これからは、何千年単位で培われた農業社会時代に適した「面としての領域経済、治安対策」ではなく、コンピューター配線のように入り組んだ人脈に対する政治が必要です。
農業社会で生まれた地域代表の仕組みのままでは、政治家は、弱者強者いずれの心も掴めない時代が来ているのかもしれません。
農業社会では、地域的に同じ気候風土に規定されて生活していますので、精神風土も共通ですから、地域と民族意識、宗教観は関連し、共通になりやすいのです。
農業社会から卒業した現在では、多種多様な職業の発達につれて同じ地域にすんでいる人でも、違った職業意識、ひいては違った価値観が育っていきます。
職業と価値観の関係に付いては、12/13/05「漢民族の広がり?3・東西移動から南北移動へ1」その他で書いて来ました。
これに加えて、これからはこのむと好まざるとを問わず、多民族共棲の時代に進まざるを得ないのでしょう。
(私は、移民受け入れに反対していますが、それは個人的な意見であって、時代の趨勢はまた別でしょう)
多種多様な職種、多様な民族構成の社会がくれば、地域代表としての政府(民族国家)のままでは、政治が機能しなくなる時代が直ぐにも来る可能性があります。
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