07/03/06

非近代精神の行方 ?1 ( 刑法57) (動物園と刑務所・精神病院1)

これから市場経済化社会が進展し、合理的精神・デジタル思考が前面に出る社会へと、更に進むのでしょう。
市場競争社会が進展すると、これに付いて行けない情念のようなものは、非合理化されて相手にされなくなります。
こう言う社会では、相手にされないまま、もやもやっとしたままになっている精神状態の人が、必然的に多くなってくるのです。
(共感を重視する女性に多いのですが、合理的説得をされても、心の底から納得出来ないままの人が、増加してくるのです)
合理化しきれない精神は、今でも数多くあって、これが押し込められっ放しになっている結果、昨今の精神病的犯罪多発現象に繋がっている面があることを否定できません。
こうした時代不適合になってしまった人々による、突発的な犯罪増加を防止し、逆に減少を図ることがこれからの社会に必須です。
昔マルクス主義華やかなりしころには、大量生産や大衆社会化による自己疎外と言う言葉が流行りましたが、彼等は、まだ健康な労働者であり、社会の多数派でした。
彼らに対しては運動場やテニスコートを整備し、社会人野球やサッカーなどのストレス発散装置を準備すれば、ある程度解決で来たのです。
(東京オリンピックでの日紡貝塚女子バレーチームの活躍を見れば分かるでしょう。)
私の言うのは、ベルトコンベヤー方式による自己疎外ではなく、合理化から弾き飛ばされ、誰にも理解されない孤独・・精神の苦悩とも言うべきものです。
昔の言葉で言えば、妖怪になるしかない精神をどうするかでしょう。
このためには、犯罪撲滅のために法定刑を引き上げるよりは、この非合理化されて片隅に追いやられてしまった魂・・もやもやした気持ちの行き場・・・安住の地を設けることが重要でしょう。
近代合理主義社会・・その究極の形が市場万能社会でしょう・・・への不適合者=敗者の安住の地として、精神病院や刑務所に隔離するしかないと言うのでは、発想が貧弱すぎます。
ライオンや虎を危険だからと言って、動物園のオリに入れているような発想です。
同じ人間同士だから、オリの代わりに刑務所と言うのでしょうが、考えてみれば猿もライオンも、大昔は、同じ脊椎動物・・哺乳動物だったのが、長い時間の経過で分化しただけです。
動物園の発想は、遠い過去に分化した生物・・仲間を時代遅れとして、隔離して危険を無くす発想です。
近代化に適合し損ねている人間を分類して、精神病院や刑務所に隔離するのも、発想の基礎が共通ではないでしょうか?
ナチス刑法では、社会防衛思想が盛んで、保安処分として精神病者を隔離する政策が重視されてきました。
この思想の行き着く先が、アーリア民族の優越性から、アウシュビッツその他の収容所政策になっていったのかもしれません。



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