07/30/05
弾正台1(検事の由来1)
明治4年に弾正台(これも奈良時代からある古い役所の名称です。)を引き継いだ司法省では、江藤新平が翌5年に空席だった司法卿に就任し、司法職務定制を制定したことを紹介しました。この司法職務定制は、以後の司法制度の基礎となるのですが、この中に、「法憲及人民ノ権利ヲ保護シ良ヲ扶ケ悪ヲ除キ裁判ノ当否ヲ監スルノ職」と規定して、王朝時代から制度である弾正台からフランスに倣った検事制度が生まれています。
但し、倣っただけであって、フランス法の検事とわが国古来の弾上台の機能をあわせ持ったものであったといわれています。
検事の職務は「裁判ノ当否ヲ監スル」職務もあったのです。
この点は、07/25/05・・1「明治以降の裁判所の設置5(行政府優位の体制の始まり)」のコラムで司法権に対する行政の優位体制の始まりを紹介しましたが、検事が司法卿に直結していて、全国の裁判の監視機構になっていたのです。
ちなみに、明治維新後司法省が設置されるまでの間における検察制度については,刑法官(のちの刑部省)とともに犯罪の糾弾と行政警察とを併せ行う弾正台が置かれていたのです。
今では「台」という公的機関では,気象台くらいしか思いつきませんが、律令制下では重要な役所でした。
律令制では、二官八省の他にも、行政組織を監察する弾正台が独立の役所として、さらに宮中を守る衛府(衛門府・左右衛士府・左右兵衛府)が天皇の直轄として置かれていたのです。
(まとめて、二官八省一台五衛府)。
何故「台」と言うのかについては、唐代の監察御史が台官と呼ばれていたことにあるのかもしれません。
謂われは、ともかくとして、わが国では、「台」は弾正台から始ったので、国家の政治機構の別格の強権発動装置として、二官八省の「上に?」君臨していたのです。
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