07/29/05
明治以降の刑事関係法の歴史3(清律から西洋法へ1)
また、そうした古い考えで作っていたせいか知りませんが、そのころまでの「・・・律」は「頒布」と言って政府部内で頒布しただけの準則でしかなく、国民には公布しなかったのです。
まだ、そのころは近代法の基本的性質を理解しておらず、江戸時代からの「民をして知らしむべからず」式の、為政者さえ知っていればいいのであって、国民は知らなくても良いという思想で研究し、整備していたのです。
この姿勢は今でも健在で、役人が情報の独り占めを画策し、何かと言うと秘密扱いしたがるのもその名残でしょう。
民主化が進んで、マル秘扱いが難しくなると、それまで問題にもしなかったのに、今度は「個人情報保護が大切」などと言って非開示にすることにはともかく熱心です。
自分・役所の方は何かと個人情報を確保したがるのに、開示となると個人情報が含まれていることを理由に拒否する「錦の御旗」にしているのです。
この点は「04/14/05・・・2夫婦別姓26(公証の時代3・・・住民基本台帳法2)」のコラムでも紹介しました。
明治初期の改革は、「王政復古」で始ったものの、直ぐに方針が展開したことは、教育制度の歴史や09/12/03「明治維新は王政復古か?(憲法27)岩倉使節団 1」前後のコラムで、連載しましたので参照してください。
教育制度と同様に、王政復古は最初だけで、直ぐに西洋法の導入へ急展開し、1873年(明治5年)には左院から、民・刑事法の制定が司法省に委ねられました。
このころ古代王朝時代の制度を復活していた国家の枠組みも大きく変わり、司法省、文部省など現在の省制度に改組され始めています。
但し、省というのは、律令制下でもあった制度です。
(文部省については上記教育制度のコラムで紹介しました。)
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