07/28/05
明治以降の刑事関係法の歴史1(清律1)
インフラとしての裁判所の話をこの辺で一旦終わらせて、刑事関係法の変遷について紹介しておきましょう。王政復古の大号令については、07/18/05・・・1「明治以降の裁判所の設置1(大政奉還)」のコラムで紹介しました。
明治新政権はいつから始るか正確にはよく分りませんが・・王政復古の大号令から考えて行きましょう。
明治初めには、朝廷は先ず、大政を奉還した慶喜に対し、
「是迄之通」刑政を行うことを示達しています。
これは大政を奉還しても、慶喜の希望通り是迄通り内政を1任する趣旨の一環でしょう。
この時点では、まだ徳川家および諸藩は別々の旧体制どおりで良かったのですが、東北鎮定後は、朝廷も新政府らしくなってきましたし、かなり自信がついたので、明治元年10月晦日に新律布令を発布しています。
しかし、まだ自前の法令はありませんから、
「故幕府へ御委任之刑律(公事方御定め書き)」
で仮に統一することを布達しています。
そうは言っても、まだ廃藩置県も出来ていないのですから、各藩に統一法の強制までは実際出来ませんでした。
せいぜい参考にしなさい程度の効力でしかなかったでしょう。
07/22/05「明治以降の裁判所の設置3」のコラムで紹介したように、そもそも政府自体が、担当部署さえ目まぐるしく変更に次ぐ変更をしている最中で、確固たる刑法典がなく、急ごしらえで研究していた段階だったのです。
体系的な刑法典が出来たのは、やっと明治13年ボワソナード刑法(明治13年第36号布告刑法)で、これが改正されたのが現行刑法(明治40年です)ですから、推して知るべきでしょう。
なお、刑事手続法と実体刑法の区別がきっちり出来ていたかは別として、明治以降の刑事手続き法の法律名だけ順に挙げれば、
△1仮刑律 △2 新律綱領 △3 改定律例 4 治罪法 5 旧々刑事訴訟法 6旧刑事訴訟法 7現行刑事訴訟法となるらしいです。
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