07/23/05
明治4年ころからの地方組織2(東京遷都)(国土の均衡ある発展)
私は、04/23/04「戦後の農業政策8(農工法と過疎地対策1)」以下の連載や補助金をテーマにしたコラムで、 従来から、ヤミクモに国土の均衡ある発展を目指す政策、そのための補助金行政については批判的に紹介してきました。
副書には、「専ラ全国之力ヲ平均シ」と言う思想が掲げられていますので、「国土の均衡ある発展」という思想の原始形態が、ここにあるのが分ります。
この時代には、農業従事者が大半でしたし、国民を養うためにも、北辺の防備のためにも、未開拓の北海道への開拓団の派遣が急務でした。(屯田兵)
その意味では、京・大阪を拠点とするのでは遠すぎるので、拠点としての東京が最適であり、これを廃墟にするのは勿体無いと言う視点は、的を得た思想であったと思います。
しかし、戦後の高度成長が農業によるのではなく、工業生産によるようになった以上は、思想も変えなければおかしいでしょう。
例えばトヨタ自動車が、各県の均衡ある発展のために北海道から沖縄まで、各県均等に生産拠点を配置しなければならないとしたら漫画です。
各県にとっては、誘致できるかどうかは死活問題でしょうが、日本国全体としてみれば、国内のどこに立地しようとも、最適地生産して国際競争力を発揮して結果的に国内総生産を増加してくれれば良いのです。
この逆をやったのが江戸時代の李氏朝鮮でした。
朝鮮では、折角の国際競争商品である木綿産業を、徴税の便宜だけの観点から首都からの遠隔地生産を強制したために、この間に衰微してしまったのです。
その後に来た開国時には、わが国と生産能力に大きな差がついていたために、わが国に遅れをとり、明治維新以降わが国の下風に立つことになったのです。
この経緯については、05/21/05「いわしと産業革命3(明治維新成功の秘訣2)」前後のコラムで連載しました。(イワシが取れなかったせいでもあるでしょう)
私の言いたいことは、過去に正しい国是であったとしても、前提状況の変わったときにもそれを固守するのはどうかと言う考えです。
東京と改称して翌年2月には、今度は、「決済文書は東京に差し出せ、各藩の公用人は東京に出頭せよ」となります。
東京 御滞輦中太政官被表へ御移に相成候ニ付キ諸願伺等来ル四月朔日ヨリ東京ヘ可差出就テハ諸藩公用人ヲモ可差出置旨被 仰出候事明治2年2月24日 (太陽暦:1869年4月5日)明治2年太政官布告 第200
東京遷都は、以上のとおり、先ず、事実上の機能の移転から始ります。
三河にあるトヨタが、社長が東京にいる間、決済文書は東京支社に提出せよと言うのと同じです。
こうしてなし崩し的に東京へ遷都していくのです。
すでに紹介した江戸から東京への改称の詔書にも「江戸ハ東国第一ノ大鎮四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ」とあって、天皇が江戸で、「親臨以テ其政ヲ視ル」ために「東の京」と改称すると書いてあるのです。
当初から既定の方針だったのでしょう。
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