07/23/05

明治4年の地方組織1(江戸から東京へ)  

この辺で、裁判所設置をしたころの地方組織の変遷・状態を紹介しておきましょう。
先ず、いつから江戸が東京に変わったか?についてはっきりしておきましょう。

詔書
朕今万機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ東国第一ノ大鎮四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ衆庶此意ヲ体セヨ
     辰 七月
 
   副書
慶長年間幕府ヲ江戸ニ開キシヨリ府下日々繁栄ニ趣キ候ハ全ク天下之勢斯ニ帰シ貨財随テ聚リ候事ニ候然ルニ今度幕府ヲ被廃候ニ付テハ府下億万之人口頓ニ活計ニ苦ミ候者モ可有哉ト不便ニ被 思召候処近来世界各国通信之時勢ニ相成候テハ専ラ全国之力ヲ平均シ 皇国御保護之目途不被為立候テハ不相叶御国ニ付屡東西 御巡幸万民之疾苦ヲモ被為問度深キ 叡慮ヲ以テ 御詔文之旨被 仰出候孰レモ篤ト 御趣意ヲ奉戴シ徒ニ奢靡之風習ニ慣レ再ヒ前日之繁栄ニ立戻リ候ヲ希望シ一家一身之覚悟不致候テハ遂ニ活計ヲ失ヒ候事ニ付向後銘々相当之職業ヲ営ミ諸品精巧物産盛ニ成リ行キ自然永久之繁栄ヲ不失様格段之心懸可為肝要事
慶応4(明治元)年7月17日 (太陽暦:1868年8月23日)明治元年太政官布告 第517

上記のとおり徳川政権崩壊後、江戸に駐在していた各大名の家臣団は国許に引き上げ、この家臣団を相手に生活していた江戸の市民は引き上げる所もないのですから、江戸は衰微の一方で、市民は「頓ニ活計」に苦しんでいました。
「今度幕府ヲ被廃候ニ付テハ府下億万之人口頓ニ活計ニ苦ミ候者・・・」と言う状態でした。
これでは、「近来世界各国通信之時勢ニ相成候テハ専ラ全国之力ヲ平均シ 皇国御保護之目途不被為立候テハ不相叶」あい叶わずというところから、「専ラ全国之力ヲ平均シ」ようと言うことから天皇が親臨して政を見る地とし、すなわち京の都に対し東の都・東京と名づけ、是れ朕ノ海内一家東西同視スル所以(ゆえん)であるから、衆庶此意ヲ体セヨというのです。



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