07/19/05
藩の消滅(廃藩置県2)
この間の長い習慣・例えば今では総理は首相ではないのに、今でもマスコミがしきりに首相と表記するのと似ていると思うのです。
(この点は、09/22/03「日本国憲法下の総理 7(憲法35) 「新しい酒は新しい皮衣に7」前後の連載で書きました。)
あるいは、現在の立派な天守閣のある城は戦国末期に出来たものですが、つい昔からあるように思いたくなるのと似ているでしょうか?
この延長で江戸時代に全く使われなかった○△藩と言う表現を、戦後も 気にしないで使っているのではないでしょうか?
薩摩藩邸などと小説で書きますが、当時は薩摩家上屋敷、前田家などと言っていたので、○○藩邸の表現は江戸時代にはなかったのです。それに加えて、心情的な点を加味すれば、私はこの廃藩置県がクーデター的に突如宣言されて、(形式上トップの三条実美・岩倉らも数日前に教えられただけのようです。)諸侯があっけに取られているうちに、知藩事の地位だけが、解職された無念さがあったのです。
これが、後の華族制度で名誉復活したことから嬉しくなった気持ちと、3年間だけとはいえ、最後の名称が「藩主」でしたので、いつまでも「元藩主」と言う呼称が、歴史に残ったからではないかと思います。
廃藩置県の詔書です。
七月十四日
詔書
朕惟フニ更始ノ時ニ際シ内以テ億兆ヲ保安シ外以テ万国ト対峙セント欲セハ宜ク名実相副ヒ政令一ニ帰セシムヘシ朕さきニ諸藩版籍奉還ノ議ヲ聴納シ新ニ知藩事ヲ命シ各其職ヲ奉セシム然ルニ数百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ何ヲ以テ億兆ヲ保安シ万国ト対峙スルヲ得ンヤ朕深ク之ヲ慨ス仍テ今更ニ藩ヲ廃シ県ト為ス是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ有名無実ノ弊ヲ除キ政令多岐ノ憂無ラシメントス汝群臣其レ朕カ意ヲ体セヨ七月十四日(明治4年太政官布告 第353)
藩ヲ廃シ県ヲ被置候事この詔書を見ると、「数百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ何ヲ以テ億兆ヲ保安シ万国ト対峙スルヲ得ンヤ朕深ク之ヲ慨ス」
と言って世襲の知事は無能で実が上がらないとアカラサマに書いているのには、驚くばかりです。
事前通告なしに、いきなり皇居へ呼び出されていってみると、突如一方的なこの詔書の読み上げだけで、いわゆる300諸侯が全員失職したのです。
多分全員茫然自失、為す術もなく、その後ザワザワして、引き下がったのでしょう。
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