07/18/05

王政復古と3職

大政返上将軍職辞退之両条を聞こし召されて、将軍職や、所司代に至るまで廃止するだけでなく,朝廷側でも摂政・関白をはじめとする旧来の制度を全廃し、総裁・議定・参与の三職を天皇の下におく政府が発足することになりました。
これは将軍職の奉還だけでなく、慶喜の上奏文に「王綱紐ヲ解キ相家権ヲ執リ保平之乱政権武門ニ移テヨリ」とあるように摂関家が、武門以前に政権を取っていたことが批判されていることによるでしょう。
その三職とは、
以下のように宮様ばかりで参与に、やっと島津、浅野、土佐の山内容堂、松平春嶽など当時の有力者が出てきます。

一 三職人躰
一 三職人躰
 総裁
  有栖川帥宮  (熾仁親王)
 議定
  仁和寺宮  (嘉彰親王)
  山階宮  (晃親王)

以下省略 しかし、以上はトップの話で、しかも名誉職みたいなもので、実働していませんでしたので、直ぐに次の政体書で太政官制に移行していき、もう少し具体化していきます。
今後もその改革改変を紹介しますが、要は、頭から順次具体化して中堅末端に下ろしていったのが明治以降の諸変革であったと言えるでしょう。
ですから、実際の実務政治となると、朝廷のトップだけいじっても、末端実務家どころか幹部級ですら人材がありませんので、朝廷政権成立後廃藩置県(明治4年)までは、諸藩の存在(人材)を容認した上でなり立っていました。
裁判に関しては、各藩では従来どおり領主裁判権が行われていたのです。
慶応4(1868)年2月の裁判所職制では、新政府直轄地方でさえも自分で裁判できず、各地方の「裁判所」(地方行政機関)が裁判権を行使すると定めており、中央は機能していなかったのです。



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