07/17/05

奉行所から警察署へ・・違警罪即決例1

奉行所からの差紙・すなわち召喚状の発行で裁判が始る制度は、今の在宅起訴と同じでしょう。
昔も在宅起訴があったのかと思うでしょうが、むしろ、現在の方があちこちに警察・および代用監獄が充実配置されていますので、在宅率が低く逮捕・勾留率が高いのかもしれません。
何しろ明治の初めには、奉行所の機能のうち行政権や民事裁判権はなくなり、犯罪の予防・鎮圧・検挙取調べ機能が残り、これが警察署に引き継がれたのです。
明治の初めには、奉行所がそのまま警察署に看板の付け替えになったのですから、その数は多寡ががしれていたでしょう。
12/01/04「簡易裁判所とは?1・・・・裁判所法 7」のコラムで少し触れましたが、警察署長が裁判もしないで、処罰できる制度・違警罪即決例が当たり前とされてきたのは、今から考えれば、不思議なことです。
しかし、これは当時の国民の意識が低かったからではなく、奉行所や代官所が警察署に変わって行った歴史のせいに過ぎないでしょう。
それまで奉行所でやっていたのに、今度は警察署と看板が付け変わっただけで、前よりも権限が縮小された(死刑など重い処罰が出来なくなったのです)のですから、みんな不思議に思わなかったのはあたりまえです。
近代化或いは消費者保護の進展につれて、従来は無資格者が出来たのに、一定の試験に合格した有資格者しか出来なくなることは、いくらもあることです。
こうして先ずは裁判が判事という特別な試験に合格した人しか出来なくなるのは、ずっと後のことで、それまでは江戸時代まで同様に一定の地位・経験者が慣習に従って選ばれていたのでしょう。
何しろ帝国大学が出来たのは、やっと明治19年ですから学歴や資格制度のインフラが出来てなかったのです。
ちなみに裁判所官制が出来たのは、後にも触れますが内閣制度の出来た(明治18年)翌19年5月に公布(勅令第40号)されたものでした。
このとき、初めて裁判官と検察官の任用資格や身分保障などが規定されたのです。
そうはいっても、これから徐々に適用していくことになるのですから、地方にまで人材が行き渡るにはかなりの年月が掛かったでしょう。
それまでは、行政官の兼任が普通だったのです。



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