07/17/05

江戸時代の裁判5(吟味筋2)

11/30/04「江戸時代の裁判4(吟味筋1)」の説明から簡易裁判所の説明に話が逸れ、12/04/04
「札幌旅行・・・1(都市間競争とセンスの重要さ)」で、ちょっと旅行の話を書いたことから、次から次へと話が流れておよそ7ヶ月あまりも漂流していました。
この間、およそ450ページものコラムを、書いて来たことになります。
再び江戸時代の裁判に戻ります。
記憶の薄れた方は、上記コラムを読み直してください。
手限(今でいえば権限)を超える事件や、手限内でも疑義のある事件などは、支配の上司に伺うことを要しました。
これを「お仕置き伺い」と言います。
犯人の逮捕を、「召し取り」「捕り物」と言い、同心、目明しは先ず、町の自身番屋等で取り調べを行いました。
これを下吟味と言いました。
今でも使われる「下調べ」をしておくという語源は、この辺からきているのではないでしょうか?
この下吟味(下調べ)で有罪と目されるときは、奉行所に送致する仕組みでした。
警察で下調べして嫌疑が固まったら、検察官送致する戦前と同じ構造です。
戦後は、警察は逮捕した以上は、48時間以内に検察官に送致しなければならなくなっていますが、江戸時代にはこうした時間制限がなかったのではないでしょうか。
戦後の仕組みは、平成15年8月22日「刑事訴訟法2」以下で詳しく書いていますので、参照してください。
江戸時代の下吟味には法的規制がなく、不正、不当がまかり通っていたと牧英正氏外の日本法制史に書かれていますが、具体的にどういうフセイ不当なのかまで書いていません。
別の本では、十手(権威)を振りかざして、町の人にゆすりたかりを行い、応じないと犯罪をでっち上げては拷問すると言う悪行がはびこっていたと書かれていますので、こうしたことかもしれません。
こうして、町中の嫌われものになっていたので、幕府も無視できなくて目明しの廃止令まで出されたことがあるそうですが、結局役人仕事ではどうにもならなかったらしく、今度は岡引きとして復活したとも言われています。
この岡引きを、明治政府が公務員に昇格させたことは、平成16年11月21日のコラムで紹介しました。
そして、私はこれを11/14/04「捜査機関の民営化4(警察の廃止!1)」以降のコラムで、「元の民間に戻せ」と言う主張をしているのです。
なお、逮捕だけではなく、この時代にも召喚状(差紙)で奉行所へ出頭を命ぜられることもありました。



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