07/17/04

マスコミの人材3(独占と形式主義者2)

私は、前回紹介した帽子同様に暑く湿潤した我国で、乾燥した西洋の風俗であるスーツ・ネクタイを真似してるのは滑稽だと思っています。
気候如何にかかわらず、世界の覇者の真似をすべきだと言う論理を漫画にすれば、「今はアメリカでは夜だから、日本でも寝るべきだと言って朝から寝ている」ようなストーリーになるのでしょう。
そうは言っても我国の気候に合うかどうかではなく、世の中そう言うしきたりだから、何が何でも従うべきだと言うのは、組織社会では必要なことなのでしょう。
軍隊を頂点に会社に至るまで、制服が流行ったのと同じ論理です。
しかし、組織に属さない弁護士までそんな思い込みで生きているなんて、(礼儀正しいのは構いませんが、人のことまで腹が立つと言う了見の狭さが気になります)今は、結構締め付けの厳しい時代なのかもしれませんね。
国旗掲揚のコラムでも書きましたが、どう言う訳か、自分が国旗掲揚したければ掲揚すればいいし、スーツを着て格好いいと思えば自分だけ着れば良いだけなのに、スーツを着ない人や国旗掲揚しない人を非難にして仲間に引き入れようとする人が結構多いのです。
本当に心からやりたい人は、自分だけやっていい思いをすればいいのであって、やらない人を非難までする必要はありせん。
温泉が好きだからと言って、行かない人を非難する人はいません。
せいぜい好意で「こう言う良いものがあるよ。」と人に教えてやるだけでしょう。
多分非難する人の本心は、
 「自分もスーツを着たくないし国旗掲揚したくないのに仕方なしにやっている。」
 「それなのに あいつは、無理をしないでいい思いをしてるから許せない。」
という心理なのでしょう。
私に言わせれば、えせ愛国者、えせ道徳者を絵にかいたような人種だと思います。
締め付けが常態化している社会にいると、本当はいやなのに、仕方なしに従っている人間ばかりが増えてきます。
そう言う人からは、「Tシャツで会見するなんて我慢ならない」非礼に映るのでしょう。
本当は、やっかみかもしれません。
服装の乱れが精神の乱れだとして、高校や中学では先生が生徒の服装に注意しているのはご存知のとおりです。
服装の乱れが心の乱れなら、服装が自由だと言うことは精神も自由だと言うことなのです。
その極端な表現が、規律を重んじる軍隊の制服ですし、会社の制服と言うものでしょう。だらしない格好で人前に出ない、というのは礼儀の問題ですし、「こう言うときはこう言う服装で」と形式にこだわるのは、必ずしも礼儀の問題ではないように思います。
ノーベル賞の田中さんが、最初作業服で記者会見に出てきたのは、とても良かったと思っている人が多いのではないでしょうか?
形式にこだわる人は、礼儀作法を知っているかもしれませんが、精神が硬直しているだけの場合が多いように思います。
ライブドアの社長は、下着で出てきたのではなく、彼なりの価値観で、お洒落、イカス格好で記者会見に望んだのでしょうから、要は、他人の価値観を許容できるかどうかの問題です。
    「学校や上司から教えられた形式以外は認められない」
或いは、自分はへいこらへいこらしてせっかく出世してきたのに、
    「自由気ままな精神そのものが許せない。」
と言う人間がのさばっている社会って、窮屈すぎませんか?
表現の自由が生命であるマスコミで、きちんとスーツを着ているかどうかを(既成秩序重視)重視する人が出世し、それを当然として擁護するマスコミ界の風潮では、型どおりの番組しか出来ないでしょう。
独占業界(銀行も含めて)では、競争がない分お行儀のよいこと(既成秩序尊重)が価値の中心になり易いのでしょう。
マスコミ界では、本当の意味の精神の自由・表現の自由が理解できていない人が牛耳っているのではないでしょうか?




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