07/10/04
旅行5(金華山)・・・(陸の奥の人と海沿いの人)
千葉では朝からかんかん照りで(連日30度近い)冷房の生活でしたが、船着場には誰もいないし、朝早いので、夏用上着を羽織って行きましたが、結構寒いのです。(金華山島の売店にはまだストーブがありましたよ・・・)
そうするうちに2〜3組の夫婦が車でやってきて、船の関係者らしいお兄ちゃんも桟橋に出てきました。
当日は深い霧で、数百メートル先も全く見えないのですが、その青年は、「大丈夫です。船はすぐ来ます。今は見えませんがエンジンの音が聞こえるでしょう。」と言いました。
私にはわかりませんでしたが、本当に直ぐに大きな双胴の船が霧の中から姿を現して、桟橋に着き、私達5〜6人だけ乗り込みました。
女川港から金華山までは、高速艇(時速60キロといっていました)で信号停止のない海で、30分丁度というのですから、結構距離があります。
船員さんは、今日は霧ですから前にいても何も見えませんよ、後ろの方がゆれなくて楽ですと親切に言ってまわっていました。
仙台に行って人種構成を見て気づいたのですが、東北と言っても仙台はどちらかといえば、南海道、東海道という言葉があるように街道沿いではなく海沿いに人が入りこんできた土地ではないかという印象でした。
東北地方を昔、陸奥(みちのく)と言っていた思っている方が多いと思いますが、仙台までは陸奥(みちのおく)でなく海道の終点と言う感じです。
そう言えば、この辺のことを「陸前」とも言いますので、昔から「陸の奥」ではなかったのです。
金華山沖が暖流と寒流のぶつかるところと(中学校の勉強の知識ですからあやふやです・・・)いうわけで、好漁場になっているのと同様で、南海からの民族移動も、暖流の北限・牡鹿半島まであったと言うべきでしょうか?
福島県などはそうした意識からか、いわきの国を中心とする「海どおり」、新幹線 (東北本線)に沿った「なか通り」、そして会津地方に分けています。
総じて、送迎用のバス運転手さんは、こちらから頼みもしないのに親切にいろいろ気を配ってくれるのに対し、ホテルのフロント関係者は、訓練されたサラリーマンではあるものの、融通の効かない種類の人たちでした。
多分運転手や船の関係者は、現地人でしょうし、ホテルマンはそのホテル(東北地方でチエーン展開しているようです)の本部採用なのでしょう。
仙台から牡鹿半島にかけては、顔つきも東北人の端正な顔立ちとは違い、千葉、茨城の漁師さんたちと同じく、海の民の顔つきです。
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