07/28/03
個性の有る人材を輩出するには?(個性 8)
私が考えるように、社会の各層において、組織を極小化するようにすれば、無駄な管理職を無くせるし、(無駄な管理職そのものがボケを、早めます。)働く職員も有る程度まとまった仕事が出来て、人間性を取り戻せるのではないでしょうか?
弁護士は、社会人の中で、比較的個性を保っている方ですが、「自由業であるから、個性的なんだ」という解釈をしている方が多いと思います。
私は、自由業である点は、ほんの僅かな要素であって、それよりも、個人事業主であることから、何でもしなければならないことが、大きな原因だと思っています。
弁護士の専門職化を求める社会(マスコミ?)の声に押されてか、最近は法律事務所の大規模化、社内弁護士の必要性が叫ばれています。
近年の司法試験合格者の大幅増員も、その需要ないし世論の影響で実現しているものだと思われます。
医師の場合で言えば、「心臓手術の腕では日本1」という専門医が、必要なことは否定出来ません。
同じように、社会全体の為には、専門に通じた弁護士ないし法律家が必要なのも分かりますが、弁護士個人の幸せの為になるかと言うと、私は否定的です。
よろず何でも相談に応じられて、大抵のことは聞かれても答えられるし、判断出来る、今の一般的多数の弁護士の方が、人格形成としては、まともでしょう。
大木は立派ですが、その太い枝1本では生きていけません。
専門職化と言うのは、大木を造ることですらないのです。
日本一の心臓外科の医師は、ひとりでは手術出来ません。
麻酔医その他大勢のスタッフが揃って、やっと出来るのです。
喩えて言えば、1本では立っていられないようにひょろ長く育った細い木が、集合して大きな集団を形成してるものだ、と言えるでしょう。
廻りの木を切り払われたら、見るも無惨なことになります。
小さな木は、幹から枝まで全部あわせても、太い枝1本大きさにも足りないかもしれません。
全体としてみれば小さなもので、見渡せばみすぼらしいかも知ませんが(それだけに為政者は、嫌がります)それでも、小さな木は、1本だけで完成体として生きていけるのです。
こうしてみると個体としての幸せかどうかは、組織の1員か、独立しているかに大きく関わって来るように思います。
ちなみに「鶏口となるも牛後となる勿れ」と言う言葉は、組織の中で指導者になるか、大きな組織のビリになるかの問題ですが、私が言いたいのは、そもそも、「出来ることなら組織人にならず、自由人、1個の完全な人間であれ」と言うことです。
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