07/26/03

建物や組織の大きさと個性 1

相続放棄2(民法88)(公証機能の不備1)の末尾に書きましたが、「大きいものは良いことだとする世相」に対する、私の意見の割込みです。
わたしは10数年以上前に、ある委員をしているときに、建物や組織が大きくなると、構成員が、人間的な味を失い、没個性化して行く関係について考えたことが有りました。
個人としては、建物の大きさに反比例して極小化される一方で、他者に対しては、建物の大きさに比例して尊大になる傾向が有ると感じたのです。
ちょうど、あちこちに4〜5〜8階建て程度の建物に分散していた東京地裁や高裁が、まとまって、現在の巨大な高層ビルに集約された直後ころと思います。
学校でも、大規模校で荒れる教室が社会問題になっていたことも有ります。
一学年何百人以上のマンモス学校にしても、クラスさえ、少人数にすればいいかと言うと、そうでもないのです。
校長が大きな学校の長として、偉くなったように思うだけのことでしょう。
「01/04/02外国人労働力の移入 1」のコラムでも書きましたが、偉い人は、構成員の幸せよりも自分が大きな組織の長になることを、望む傾向が有ります。
しかし、構成員には何の恩典も有りません。
殆どの組織においては、大きい組織の構成員は個としては割損です。
歴史を振り返っても、一般的な傾向として、中央集権国家ないし統一国家が必要な時代は、外敵が迫って来る危険なときに限られ、平和な時代が続くと、小さな都市国家ないし、地方政府の力が強くなる傾向が有るようです。
こういう視点で見ると、中国は、秦の始皇帝以来、その殆どが統一王朝であった為に、個人としての人民が、軽い存在であり続けたとも言えますね。
例外的に5胡16国、南北朝、金と南宋などの期間が挟まりますが、これらは統一国家成立前の戦乱期でしか有りません。
矢張り中国で、個性のある多様な人材を輩出した時代と言えば、秦が統一国家を作る前の春秋戦国・先秦諸子百家の時代であったことは、だれしもが認めるところではないでしょうか?
西洋で見れば、直ぐ思い付くのは、都市国家ギリシャの芸術とローマ帝国の比較でしょうか?




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